
星ゆたか

독립시대
평균 3.6
2025.5.18 台湾ニューエーブの旗手と吟われ、惜しくも59歳で亡くなられたエドワード·ヤン監督(1947.11.6~2007.6.29)作品。 何といっても「ヤンヤン 夏の想い出」(99)が大好きで。 代表作の「クーリンチェ少年殺人事件」(91)は長尺(四時間近い)で。 これはもう一度鑑賞しないとと思っている。 そして本作。 95年に公開。やはり4Kレストラ版が2023年にリバイバルされている。 今回も一度鑑賞しただけでは主なる人物10人の相関関係がくみ取れず仕舞いで。 登場人物への思い入れが出来ず終わってしまったので。 もう一度じっくり、俳優の顔と人物名をあてがった上で見直して。 やっとドラマにも入り込めた。 この中で描かれた内容は、西洋化と経済発展の1990年代の台湾恋愛喜劇であると同時に。 『自らの見失いがちな生き方を模索する姿は』。 現在でも、いつの世でも、普遍的テーマとしてあるし。 更に情報化時代を予見した所も、時代を先取りした。(容貌の時代性は仕方ないとしても) むしろ今日でも観られる、早すぎた傑作とされている。 登場人物を整理して列記すると。 まず財閥の娘でカルチャー企業会社経営者の①モーリーという女性。 その会社に資本金も投入しているやはり金持ちボンボンの彼女の婚約者の②アキン。 モーリの姉③でTV番組の司会をやっている女性がいて。 その旦那が小説家④で、かつては甘い恋愛もので人気だったが。いまは姉(妻)と別居中で、書く悲惨な内容の小説が社会に受け入れられず、引きこもり中。しかし後半、チチとの出合いで、考え方を改革する男。 モーリの部下で愛くるしい表情がTVCMにも出演したチチ⑤(「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーン風のショートカットヘヤー)。 モーリとは大学の同窓生で。 もう1人映画早々に登場する芸術家バーディ⑥も同じ同窓生。 チチの恋人が公務員のミン⑦。やはり彼も学生時代からの友人。 彼の父親は同じ公務員で、汚職の罪をきせられたとかで。 見た目は若々しいが。身体をこわし酒断ちをしている。 その妻(再婚)がレストランを経営しているので暮らしぶりは安泰。 この婦人はチチの叔母にあたる人物で中々感じはいい。 チチはモーリの会社運営が芳しくなく、愚痴から再就職先等の話しも、この叔母にしている。 ミンは実母(こちらも再婚)と一緒に暮らしている。母の相手は、実父に比べると平凡で俗っぽい。 ミンの同僚で同じ公務員のリーレン⑧。 ミンとリーレンは上役主任に。 ミンは認められるが。 リーレンは、普段から相性が悪く、収賄の罪で干される。 事の起こりは、ミンの言動が原因で、そのような事になったので。 彼には『裏切り者!』と言われ。ミンはこれが、きっかけで公務員を辞める決意を持つ。 更にモーリの会社の女優志望で。 夢を叶える為なら次々と男を手玉にする世渡り上手なフォン⑨という女性がいて。 何かというと人の心を読むのが女優と言い。 モーリの会社に投資コンサルタントで、アキンにも慕われているラリー⑩と言う男がいて。 このラリーとフォンは不倫関係で、フォンの所へラリーはもう1つの別宅に帰宅する感じで。 そんな感じを感じとったモーリは彼女を首にする。 モーリはラリーが自分を好きだと感じてるから、女の嫉妬でもあったか。 それから、モーリとアキンの婚約関係はモーリにとっては、金(会社資本)づる位の気持ちだが。 アキンの方は惚れているので、大学の同級生バーディとの関係を心配して。 モーリの姉のTV番組に出演しているバーディを、感情のまま、殴りに押し掛ける。 この映画、度々こういった艶笑がかったドタバタ喜劇の場面がある。相関関係が解って見ると面白い。 またチチとミンは、本質的には、仲はいいのだが。 気心が知れて、お互い主張を曲げないからタクシー車の後部シート等でも。 ついボルテージが上り、激しい口喧嘩になる。 またこの映画はこのチチとミンのほか。 モーリとバーディも、やはり車内等で激しい討論をしている場面があり。 その辺が「ドライブマイカー」(21)の濱口竜介監督にも影響与えたそうである。 確かにこの映画の男女の世界観は、車内会話もそうだが、同じ濱口監督の「偶然と想像」等にも通じる感じがする。 だから、一回目の鑑賞では登場人物の相関図が把握出来ずにいたので。 こういった男女の感情のぶつかり合いにしても。 今一つだったが。 理解してからの二回目はぐっと面白く見る事が出来た。 この映画の理解には物語の時代(1990年代)と舞台(台湾·台北)を知った上なら、なおさらという所がある。 台湾は1949年中国から国民党政府が蔣介石と共に移住してきた『外省人』と。 それ以前の日本統治下時代から台湾に住んでいる『本省人』と分かれているそうで。 外省人の心には、いつか中国大陸に帰る意識があるらしい。 この映画の時代はまだその外省人意識の残っている世代がいたのだろうが。 昔々の本省人はともかくとして。 それ以降の若い世代にも、そういった中国への思い入れはあまりないようだ。 自由な欧米文化への憧れの方が強くなっていたのでだあろう。 映画ではモーリとチチという二人の女性の考え方に。 新旧の違いがあり。 モーリの経済発展思考の現代的割り切りと。 チチや恋人のミン等は、どちらかというと。古風で体制に従順。 『長いものには巻かれろ』式であったのか。 そんな、これまでも、これからも、自分の本音を圧し殺しててイイものか?と映画の最後の方では、チチもミンもその疑問を持ち、自分を出す生き方に変わっていく。 また、成り行きで、ミンは後半フォンの“女優魂”に惑わされそうになるが。 そこでは不倫相手のラリーに抑えされ。 しかし今度は『寂しい時はお互い了承の上で』と。 恋人チチの親友モーリと、何と一回関係を持ってしまう。 ここで、この互いの友人と関係を持ってしまう状況について考察。 最近日本の不倫ドラマの先がけ「金曜日の妻たちへ」(83年)を見直ししたのだが。 このエドワード·ヤン監督の作品は。 10年程前のその日本のドラマと違って。 友人の相方への不倫(裏切り)罪意識は無くて、全く後悔する気持ちなどもない。 更にモーリは、チチの恋人と寝て(しかも出来るならその関係を維持したいと考え、チチに断られ諦める)。 その数時間後に親友のチチにあっても何も感じず。 チチの恋人ミンも。 公務員を辞める決意をしたからか。 チチとは別れると彼女に告げるが。 何も知らないチチがミンとやっぱり別れたくないと戻ると。 ためらいもなくしっかり抱き合うではないか。 一回位の裏切りは恋愛男女関係では折り込み済みか?。 だから、題名が「恋愛時代」という事で。 妻子持ちだというラリーという男も。 フォンと不倫関係で、別宅で夫婦のように、平気に寝るし。 フォンもミンの親友リーレンや、モーリの同級生で友人の芸術家バーディとも。 こだわりなく、世渡り術の1つの如く、その肉体関係になりそうになるというのは。 これは台湾人と日本人というより。 好きあった同士なら、大人の男女関係が別にあっても、問題ないと考える人間との違いと言えようか⁉️。 それにしても全編に『孔子』の論語の言葉の引用を物語の案内記しとして。推し進めた本作は。 最後に悩める小説家の出した覚醒の言葉をチチとの出合い後に長々語らせたり。 またチチの恋人ミンにおいては。 自分のしでかしたモーリとの慰め合いを『普通の事』として語り。 歴史の『義和団の乱も、文化大革命も、天安門事件も、中国統一も、父親の汚職事件も』~みんな『普通の事』だと、その社会観の拡がりを語らせ、映画の“格調”を上げ、終幕とした。