
星ゆたか
3.5

남자는 괴로워 1 - 토라, 우리의 사랑스런 여행자
영화 ・ 1969
평균 3.6
2022.3 『私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します。』 映画のタイトルバックに山本直純さんの名曲とともに、このナレーションが流れると、もうそこは、映画の故郷に招かれます。 監督・山田洋次さんが渥美清さんの話(若い頃知り覚えた)から、そのテキ屋の口上があまりにも面白く、まずテレビの連続ドラマとして書きあげた。そして放映最終回からの反響の大きさに、映画化の話に。 映画会社も当時は“テレビでやったものなんて”と、最初はいぶかしがった。今日ではテレビで当ったからと考えるのとは大違い。 しかし興行のふたを開けてみたら、これが大当たり。以降48作品(近年さらに1作加え)ギネスブックに登録される世界映画史上まれにみる長ロングシリーズ作品となった。これは記念すべき第一作目。妹のさくらさんとの再会、そして博さんとの結婚までの話。 主人公の寅さんは自由で放浪の身。故郷・東京柴又の人びとは地道に生活する状況。ロマンチストの寅さんが旅先で知りあった困った女の人を、故郷の人たちは温かく受け入れてくれる。そして寅さんの嫁さんにどうかと心配させる“おかげ”で、柴又の皆も、“幸せ”をしみじみ実感できる機会を得られる訳だ。だからこれはもうお互い、なくてはならない存在ということになる。シリーズ中数々の名シーン・名ゼリフが、寅さんの口上で見聞できる訳であるが‥‥‥。 そこで渥美清さん(1928-1996)のあの話芸の秘密。 彼は小学生の頃病気がちで、長期欠席して家で寝ていることが多かったそうだ。その孤独な療養中、もっぱらラジオの話芸を心の慰めにしていたという。戦争中のことで、徳川夢声による吉川英治の「宮本武蔵」の朗読などを、懸命に看病してくれていた母に語って聞かせ、母もうなずきながら聞いてくれたとか。 そして学校の教師も、彼の“お話”の上手さを評価してくれて、雨で運動場が使えない時などは、みんなで彼の“お話”を聞くことにしたりした。そんな時には隣のクラスからも、生徒や先生が来たりしたそうである。〔個性とゆとりの教育〕うらやましい! まさに映画のワンシーンに使えそうな話。 また社会に出てからも、友達とお店で面白い話をしていると、女店員たちが集まってきたというから、あの寅さんの“話芸”は本物で 筋金入りなのだ。 よく同じ話の映画を何でそんなに見るの?と思うかもしれない。 しかしこれは、人情落語を話が分かっていても、何度も見たり聞いたりするように、〔名人芸〕を堪能するのである。