
星ゆたか

산쇼다유
평균 3.8
2022.7.9 【座談会レビュー】第11回。 今回はこの映画の原作者・森鴎外氏の没後百年(1922年7月9日)を記念しての上映会を開き、その流れの座談会です。星ゆたかさん、光みちるさん、風かおるさん、雨あられ・みつをさん姉弟、雲かすみさんです。宜しくお願いします。 (星)まず原作は1915年に出版されてます。物語自体は良く知られた古い説話で、おそらくは中世に差別されていた漂泊の賤民達が受けた、残酷で悲惨な出来ごとを、物語詩として歌い伝えられてきたものとされてます。説教節と言われ乞食や障害者によって、あるいは残酷な部分が省略され童話のような形で近代にまで語られてきたとも。 (光)日本では歴史の研究には大きな障害があって第二次大戦敗戦後、古代史研究のタブーが解除されたとしました。つまり2600年もの昔から血統が繋がっている天皇家の先祖の神聖性を犯してはならぬという所です。この映画化にあたって歴史学者の林屋辰三郎氏が、森鴎外氏の作品の足りない部分を【「山椒大夫」の原像】という論文で発表しました。『極めて残酷で古代末期の被差別民の血と涙と呻き声と解放を求める願いが、ゆがめられ矮(わい)小化されている』と。 (風)脚本を始め八尋不二さんが森鴎外の小説に忠実で、これに監督が難色を示し依田義賢さんが改作したそうです。 要点は物語の前半、安寿と厨子王は十代の子供で、後半は十年後の青年にしました。そして姉と弟の関係を逆に。これは配役の花柳喜章さんが香川京子さんよりかなり年上だったからとのこと。また筑紫に流された父親は原作では生きて息子と再会しますが映画では亡くなってました。安寿は責め殺されたのでなく、厨子王を逃がした後入水自殺したことに。またこの花柳さんは溝口監督の戦前の名作「残菊物語」(39)の主演・花柳章太郎さんの実子のこと。 (雲)原作で有名な厨子王が父親から持たされた、先祖代々の守り本尊の小さな仏像も映画では、単なる身分証明の小道具ですが。原作では関白の娘の病気を治して出世の機会を掴んだり、その他の奇跡を起こしたりもします。最後の目の見えなくなった母親もこの力で治してみせます。ただ映画ではこのような奇跡語りより、リアリズムの悲劇の描写での意向の変更でした。 しかしこの仏像の功徳の奇跡の話と、あの「ベンハー」(59)におけるキリストの奇跡の話と似ているのも面白い! やはり苦しみからの脱却に、人は宗教心理への救いを求めるのでしょうか? (雨弟)しかしこの映画の公開された1954年(昭和29年)ってまさに映画の最盛期で、全国の劇場の数も製作公開された数も多かった。また同時に優れた作品もです。 その年のベストテンをみても、この溝口監督の作品で他に「近松物語」、黒澤明監督の「七人の侍」、木下恵介監督の「二十四の瞳」と「女の園」、成瀬巳喜男監督は「山の音」と「晩菊」と、後にまで日本映画史に残るような作品を発表しました。 (雨姉)それに忘れちゃいけない「ゴジラ」の一作目が公開されましたよ。このゴジラ誕生に関わる“米軍水爆実験”があり、日本漁船第五福竜丸のビキニ海域の被爆事故が話題に。悲しいことに乗組員がその年亡くなりました。 (星)海外で「羅生門」以降、徐々に日本映画が評価され続け、本作もベネチア映画祭で受賞しました。監督自身の作品としては三年連続。 また洋画では「嘆きのテレーズ」「恐怖の報酬」「波止場」「ローマの休日」「グレンミラー物語」などがありました。まだテレビが普及してなく、街頭テレビでプロレス中継を見る人々が多かった伝説があります。 何しろ電気冷蔵庫、洗濯機、テレビが“三種の神器”と呼ばれた時代ですからね。えっ何故“電気”冷蔵庫って言うかって? そう大きな氷を入れて冷やす冷蔵庫も別にあったからです。 (光)しかし俳優の数々の場面の演技の見事な所は忘れられません。主演級の皆さんもそうですが。脇役の山椒大夫の 進藤英太郎さん、毛利菊枝さんの人のいい村婦人を見せかけての非業の人売り、いいですね。また山椒大夫の心やさしい息子が出家して寺の住職になり厨子王を助ける役の河野秋武さんも印象的でした。 (風)母親役の田中絹代さんは当時45歳ですが、最初の頃と最後の佐渡のあたりではまさに違います。人身売買で娼婦の果ての盲目の女の“哀れさ”を出すために、一ヶ月の減食と肉食厳禁を監督から言い渡されたそうです。 まさに溝口映画では“闘い”の連続だったらしく、それが「西鶴一代女」(52)「雨月物語」(53)などの名演技につながりました。この二作と本作あわせて全て海外映画祭受賞。 (雨姉弟)原作の健気な姉が、弱々しい弟を助けるために犠牲になるというもとの物語の変更。 幼い女の子にもすでにある高貴な母性が、この原作に限らず長い間人々の心を感動させてきた話を変えての設定です。 そこで兄が妹を犠牲にして生き残るために、ここでは死にかけている奴隷の仲間の娘を背負って逃亡します。 ただここの、兄と妹の立場の違いは “女の犠牲の上に生きる男の物語”という、溝口監督の生涯のテーマに添った作品作りの上のことだったのかもしれません。単に俳優の年齢的問題だけでなく。 (雲)白黒撮影は名カメラマンの宮川一夫さん。安寿の湖水入水の場面。母親と息子の感動の再会の海辺のシーン。フランスの60年代の《ヌーヴェル・ヴァーグ》の旗手・監督ジャン・リック・ゴダールが「気狂いピエロ」(65)で再現したとされてます。 (星)そんな訳でこの映画何十年ぶりかで見直しましたが、本当に変わらぬ感動を覚えました。古い説話は時代を超越して、ある意味終末思想を未来の軸とするSF映画と同じ、普遍性を兼ね揃えてます。 “旧くて新しい”んです。海外からも本来の日本らしさとして求められています。外国人が真に求める日本人は、外国に関心のある、日本をよく学び知った日本人なんでしょうね。 アニメばかりでなく、日本に興味と関心を持ってもらい愛していただける映画。 その映画の特性として堂々と胸を張れる作品の一つでしょう。 是非皆さんもご覧ください。 ありがとうございました。