코멘트
dreamer

dreamer

4 years ago

4.0


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도쿄 소나타

영화 ・ 2008

평균 3.3

登場人物への感情移入は、映画体験の基本ともなるべきものです。誰かの視点から観て、その人の気持ちになれるから、泣いたり、笑ったり、悩んだり、元気になったりできるわけです。 ところが、この黒沢清監督が撮った映画「トウキョウソナタ」は、観ている我々に視点を選ばせてくれないのです。 この映画の基本になるのは、会社をクビになったのに、妻と子供にそれを伝える事のできない男。 当然、この人の視点で観たくなるのに、香川照之の熱演が気の毒になるほど、脚本も監督も突き放すばかりで、心情同化を許さないのです。 また、夫の失業を知りながら、お母さんとしての務めを続ける小泉今日子。 菩薩さまみたいな、このお母さんに脚本は同情的ですが、小泉今日子の演技は徹底して乾いているのです。 実は、そこがいいんですが、この人にも感情移入できないのです。 それから、ピアノの天才みたいな次男も重要人物なのですが、キャラクターがまるで与えられていません。 観る者が心情同化を求められる相手は、アメリカ軍に志願入隊する長男しかいないわけですが、しかし、この長男が、映画にほとんど出てこないのです。 こうなると、一体、誰の気持ちになって映画を観たらいいのか、私を含めて観る者の抱える、感情移入への欲望の行き場がないわけです。 しかし、よくよく考えると、そこがいいわけです。誰の視点に立っても映画を観る事ができないからこそ、この家族の抱える"空白"がそのまま伝わってくるのです------。 感情移入を拒否する映画は、決して珍しくはないが、その多くは監督のエゴが出しゃばった結果だったりします。 しかし、この映画では、それが監督の衒いではなく、"家庭崩壊を捉える方法"になっているのだと思います。 今更ながら、この黒沢清という監督の凄さを見る思いで、とにかく彼は凄い映画的才能の持ち主で、カットの編集とか光と影の操作とか、監視カメラの映像と映画を分かつ技巧を全て封じてしまうのです。 それなのに、出来上がったものは、どう見ても映画そのものになっているのです。 この映画は世界中で絶賛され、カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門で、審査員賞を受賞したのも納得できる作品だと思います。