about movie2.5雰囲気が好き。愛を教えられなかった二人が、愛を信頼に置き換えることで繋がる。愛してる、の代用が、信用して、というのも良い。 ヒロインはそういう演技なのか、ただの棒読みなのか分からないが、どこか引き込まれる。 インディーズ界では傑作といわれてるだけあり、無駄なBGMや脚色がなく、ハリウッド的でない形がとても良い。좋아요5댓글0
星ゆたか3.02023.3.25 1990年代のニューヨーク・インディペンダント映画を代表する映画作家とされる。 ハル・ハートリー監督(59年生まれ)の長編第二作目。 深刻な死や孤独そして生命の誕生に関して向き合いながらも。 どこかとぼけていて、クスット笑える独特なユーモア。 クールでリズムカル。 みずみずしくあたたかな世界観が親しまれ。 日本では1993年に公開されたが。 2018年には東京で「ハル・ハートリー復活祭」と題して、本作を含む三作(「アンビリーバブルトウルース」「シンプルメン」)などがリバイバル上映された。 そしてこの三作はDVD化を熱心に望むファンなどの募集資金(クラウドファンディング)で三作ボックス盤「ロング・アイランド・トリロジー」が制作販売されている。 こういう少し前の音楽や映画を、現代の若者を中心にして、懐かしいでなく、新しい望むべき文化として、スポットライトを浴びる感覚は。 世界のSNS世代が日本の.80~.90年代のジャパニーズポップス(大滝詠一・松本隆サウンドに代表される)を愛好するムーブメントなどにも通じる所か。 物語は16歳のヒロイン・マリアが妊娠し高校を中退。 そのショックもあって父親が心臓病で急死。 相手の同級生のフットボール馬鹿男に話しても、これから奨学金で大学に入ろうとする矢先に“ハラボテ女”なんて『ごめんこうむる』と相手にしない。 家に帰れば稼ぎがしらの夫を、“娘のせいで”死なせたと。 『お前なんか家から出ていけ!』と母親に言われる。 一方映画はもう一人。コンピューター技師として、家電会社工場のテレビの部品チェックの仕事をするマヒューという26歳位の青年の日常をヒロインと平行して描かれる。 しかし彼はテレビが嫌いで辞めてしまう。しかも会社は欠陥品として承知の部品を、彼の意見にも応じず使い続ける。そんな会社の姿勢にも反発しての上の行動だ。 しかしそれ以外にもこれまで、甲斐性がなく、また感情的暴力であまり一ヶ所に長く勤めたことがないらしい。 この映画でまず面白いのは。 彼の場合外では大抵無言で、他人にはやみくもに暴力を振るくせに。家では(母親は彼を出生した時亡くなり)、父親と二人暮らしで。その父親には絶対服従のおとなしい態度で接している。 何故かその父親の朝鮮戦争の時の、持ち帰り品の手榴弾をいつも持ち歩いている。この目的が他人を攻撃するためなのか、もしや自殺するためなのか定かでない。 何回も浴槽も床も綺麗なのに、風呂掃除をやらされて。 時には平手打ちをする父親の家から『出る!』といいながらも。 一向にその気配を見せない。 またヒロインのマリアもさんざん母親に冷たくあしらわれているくせに。 父親を死なせたのは、これまでの自分の馬鹿加減な生き方のせいとして。 せめてその罪ほろぼしとでもいうのか、母親の変わりに家のことをすると決めている。 家には結婚に失敗し、その相手との子供二人とも離ればなれにさせられている姉がいて。 母親はマシューを計画的に泥酔させ、この姉と関係持たせる企みを。こういった異常行動をマリアとマシューを、結婚させまいとしてとる。 つまり二人とも、モンスター・ペアレントの母親、父親の“呪縛”から逃げられないでいる。 ここは大変不思議な感覚。 何故この二人は大人なのに、いつまでも身内の理不尽さに我慢しているのか? 出生や生い立ちに引け目を感じ、負わなくてもいい足かせを、自らはめ続けているのだろうか。 そんな二人が知り合い。 マリアはマシューの知性に惹かれ(彼女に語彙辞典を贈る)る。 彼女は自分の手帳にこう書き綴る。 『若いということが恥ずかしい。愚かであることが恥ずかしい。』 マシューが勧める、中絶しないでその子供を二人で育てて生きようと思う。 ここでも面白いのは、最初の中絶の手術の時に病院に彼は同行するが、彼女本人より緊張し落ち着かない。 待合室にいた他の付き添い男に『中絶するまでは人生がドンゾコになったような感じだが、済んでしまえばサッパリするぜ』と言われ、相手を掴み押し倒し、喧嘩したりしてしまう。 そんなマシューだが、彼女と結婚することで定職にもつき、世の中と折り合いをつけ、大人しく社会の取り決めに我慢して生きていこうと方針を定める。 その独特のユーモア感覚は。 例えばマシューがアルバイトの修理工として働こうとする所。 テレビの嫌いな彼は時給が安くてもいいからラジオの修理がしたいという。 でも店ではテレビの修理の仕事が多いという。 そこでやらないと店を出ると小型テレビの修理を依頼しようとし、そのテレビを抱える人達の列が続く。 その中テレビを持つ一人とぶつかり、そのテレビを地面に落とし壊してしまう。 捨てゼリフを投げ掛け去っていくマヒューといった具合。 こういうトボケタ、笑い感覚はフィンランドのアキ・カウリスマキ監督作品にも似ているかな。 このテレビが嫌いな所は監督の思考で。(この監督さん、日本の女優・二階堂美穂さんと作品出演を機に結婚している) 『私はテレビに強い不信感を抱いていて。テレビの発信する情報を全く信用してない。テレビは人間を簡単にコントロールしてしまう。』 『また視聴者もそうされる方が楽だから、考えるのを辞めて教えられたまま、流されて生きていこうとしがち。』 『経済的成功やセレブリティが神聖化され、崇拝され続けているのはおかしい』と、この映画で訴えたという。 マシューを演じたのはマーティン・ドネヴァン(57年生まれ)この監督作品ではお馴染みの俳優さん。 マリア役はエイドリアン・シェリー(66年生まれ)さん。 後に自身監督も手掛ける女優さんだが。 2002年にマーケティング会社CEOのアンディ・オストロイ氏と結婚。 2004年に長女を出産。 2006年に住居の入っているアパートの工事に入っていた作業員が盗みに入ったのと遭遇。 殺され(しかも自殺に見せかけの偽装工作)てしまう。40歳にして生まれて間もない女児を残し亡くなる。 夫はその工事会社相手に訴訟の裁判まで起こしている。 またそのオストロイ氏は彼女の死を悼み。 若い映画制作者に奨学金や補助金を給付する。 非営利団体「エイドリアン・シェリー財団」を設立したという。 なんかそんな情報を得ると、この映画の彼女がますますイトオシクなった。좋아요4댓글0
manamizw5.0多分ハル・ハートリーの映画の中で一番好き。 誰にも必要とされてなかった二人が、恋でもなく愛でもなく友情でもない関係で結びついていく。それは恋より愛より友情よりも強くて深く、熱くもなければ冷たくもない、でも心地よい温度だった。周りの人には理解不能だけれど、この二人さえ判っていれば良いのである。マリアのシャツワンピの着こなしがかわいくて好き。좋아요1댓글0
ご自由さん3.0ハル·ハートリー作品何本か挑戦もこの感性にはついて行けない。この作品はまだ解りやすいが、何せ題材の設定が並みではなく、お利口さんの私には理解し得ない。おかしなお馬鹿な男、おかしなお馬鹿な女、その回りのおかしなお馬鹿な家族としか見えない人達のふしぎな生き方のお話しである。 明るいようで暗く楽しいようで鬱陶しい賑やかなようで寂しい未來があるようで無いてな感じ。가장 먼저 좋아요를 누르세요댓글0
akubi5.0世界との歯車がいつもなんだか噛み合わない。 そんな混沌で出会ったふたつの孤独がよりそう。くっついたり、離れたり。確かなものを求めたり、求められたり。それってtrust!ってこと?。 ほんものかどうか、わからなかったグルネード。弾けた瞬間から、始まる。 その哀しさと可笑しさとロマンチックがいつもあって、なぜだかそれらがわたしを安心させてくれる。寂しげだけれどあたたかな愛を。感じる。가장 먼저 좋아요를 누르세요댓글0
akrutm 4.5初めてのハル・ハートリーでしたが、かなり満足。エイドリアン・シェリー演じる女子高生マリアの成長物語ですが、登場人物が皆エキセントリックで独特の雰囲気や世界観を持っているにも関わらず、自然と共感できる部分も少なくなく、映像に釘付けになりました。若さと無知を恥じるようになったマリアが変わっていくにつれてどんどん魅力的になっていくのも見どころです。가장 먼저 좋아요를 누르세요댓글0
about movie
2.5
雰囲気が好き。愛を教えられなかった二人が、愛を信頼に置き換えることで繋がる。愛してる、の代用が、信用して、というのも良い。 ヒロインはそういう演技なのか、ただの棒読みなのか分からないが、どこか引き込まれる。 インディーズ界では傑作といわれてるだけあり、無駄なBGMや脚色がなく、ハリウッド的でない形がとても良い。
星ゆたか
3.0
2023.3.25 1990年代のニューヨーク・インディペンダント映画を代表する映画作家とされる。 ハル・ハートリー監督(59年生まれ)の長編第二作目。 深刻な死や孤独そして生命の誕生に関して向き合いながらも。 どこかとぼけていて、クスット笑える独特なユーモア。 クールでリズムカル。 みずみずしくあたたかな世界観が親しまれ。 日本では1993年に公開されたが。 2018年には東京で「ハル・ハートリー復活祭」と題して、本作を含む三作(「アンビリーバブルトウルース」「シンプルメン」)などがリバイバル上映された。 そしてこの三作はDVD化を熱心に望むファンなどの募集資金(クラウドファンディング)で三作ボックス盤「ロング・アイランド・トリロジー」が制作販売されている。 こういう少し前の音楽や映画を、現代の若者を中心にして、懐かしいでなく、新しい望むべき文化として、スポットライトを浴びる感覚は。 世界のSNS世代が日本の.80~.90年代のジャパニーズポップス(大滝詠一・松本隆サウンドに代表される)を愛好するムーブメントなどにも通じる所か。 物語は16歳のヒロイン・マリアが妊娠し高校を中退。 そのショックもあって父親が心臓病で急死。 相手の同級生のフットボール馬鹿男に話しても、これから奨学金で大学に入ろうとする矢先に“ハラボテ女”なんて『ごめんこうむる』と相手にしない。 家に帰れば稼ぎがしらの夫を、“娘のせいで”死なせたと。 『お前なんか家から出ていけ!』と母親に言われる。 一方映画はもう一人。コンピューター技師として、家電会社工場のテレビの部品チェックの仕事をするマヒューという26歳位の青年の日常をヒロインと平行して描かれる。 しかし彼はテレビが嫌いで辞めてしまう。しかも会社は欠陥品として承知の部品を、彼の意見にも応じず使い続ける。そんな会社の姿勢にも反発しての上の行動だ。 しかしそれ以外にもこれまで、甲斐性がなく、また感情的暴力であまり一ヶ所に長く勤めたことがないらしい。 この映画でまず面白いのは。 彼の場合外では大抵無言で、他人にはやみくもに暴力を振るくせに。家では(母親は彼を出生した時亡くなり)、父親と二人暮らしで。その父親には絶対服従のおとなしい態度で接している。 何故かその父親の朝鮮戦争の時の、持ち帰り品の手榴弾をいつも持ち歩いている。この目的が他人を攻撃するためなのか、もしや自殺するためなのか定かでない。 何回も浴槽も床も綺麗なのに、風呂掃除をやらされて。 時には平手打ちをする父親の家から『出る!』といいながらも。 一向にその気配を見せない。 またヒロインのマリアもさんざん母親に冷たくあしらわれているくせに。 父親を死なせたのは、これまでの自分の馬鹿加減な生き方のせいとして。 せめてその罪ほろぼしとでもいうのか、母親の変わりに家のことをすると決めている。 家には結婚に失敗し、その相手との子供二人とも離ればなれにさせられている姉がいて。 母親はマシューを計画的に泥酔させ、この姉と関係持たせる企みを。こういった異常行動をマリアとマシューを、結婚させまいとしてとる。 つまり二人とも、モンスター・ペアレントの母親、父親の“呪縛”から逃げられないでいる。 ここは大変不思議な感覚。 何故この二人は大人なのに、いつまでも身内の理不尽さに我慢しているのか? 出生や生い立ちに引け目を感じ、負わなくてもいい足かせを、自らはめ続けているのだろうか。 そんな二人が知り合い。 マリアはマシューの知性に惹かれ(彼女に語彙辞典を贈る)る。 彼女は自分の手帳にこう書き綴る。 『若いということが恥ずかしい。愚かであることが恥ずかしい。』 マシューが勧める、中絶しないでその子供を二人で育てて生きようと思う。 ここでも面白いのは、最初の中絶の手術の時に病院に彼は同行するが、彼女本人より緊張し落ち着かない。 待合室にいた他の付き添い男に『中絶するまでは人生がドンゾコになったような感じだが、済んでしまえばサッパリするぜ』と言われ、相手を掴み押し倒し、喧嘩したりしてしまう。 そんなマシューだが、彼女と結婚することで定職にもつき、世の中と折り合いをつけ、大人しく社会の取り決めに我慢して生きていこうと方針を定める。 その独特のユーモア感覚は。 例えばマシューがアルバイトの修理工として働こうとする所。 テレビの嫌いな彼は時給が安くてもいいからラジオの修理がしたいという。 でも店ではテレビの修理の仕事が多いという。 そこでやらないと店を出ると小型テレビの修理を依頼しようとし、そのテレビを抱える人達の列が続く。 その中テレビを持つ一人とぶつかり、そのテレビを地面に落とし壊してしまう。 捨てゼリフを投げ掛け去っていくマヒューといった具合。 こういうトボケタ、笑い感覚はフィンランドのアキ・カウリスマキ監督作品にも似ているかな。 このテレビが嫌いな所は監督の思考で。(この監督さん、日本の女優・二階堂美穂さんと作品出演を機に結婚している) 『私はテレビに強い不信感を抱いていて。テレビの発信する情報を全く信用してない。テレビは人間を簡単にコントロールしてしまう。』 『また視聴者もそうされる方が楽だから、考えるのを辞めて教えられたまま、流されて生きていこうとしがち。』 『経済的成功やセレブリティが神聖化され、崇拝され続けているのはおかしい』と、この映画で訴えたという。 マシューを演じたのはマーティン・ドネヴァン(57年生まれ)この監督作品ではお馴染みの俳優さん。 マリア役はエイドリアン・シェリー(66年生まれ)さん。 後に自身監督も手掛ける女優さんだが。 2002年にマーケティング会社CEOのアンディ・オストロイ氏と結婚。 2004年に長女を出産。 2006年に住居の入っているアパートの工事に入っていた作業員が盗みに入ったのと遭遇。 殺され(しかも自殺に見せかけの偽装工作)てしまう。40歳にして生まれて間もない女児を残し亡くなる。 夫はその工事会社相手に訴訟の裁判まで起こしている。 またそのオストロイ氏は彼女の死を悼み。 若い映画制作者に奨学金や補助金を給付する。 非営利団体「エイドリアン・シェリー財団」を設立したという。 なんかそんな情報を得ると、この映画の彼女がますますイトオシクなった。
manamizw
5.0
多分ハル・ハートリーの映画の中で一番好き。 誰にも必要とされてなかった二人が、恋でもなく愛でもなく友情でもない関係で結びついていく。それは恋より愛より友情よりも強くて深く、熱くもなければ冷たくもない、でも心地よい温度だった。周りの人には理解不能だけれど、この二人さえ判っていれば良いのである。マリアのシャツワンピの着こなしがかわいくて好き。
マイク阪本
4.0
扇町キネマで鑑賞。 愛されずに育った2人の不器用な恋愛。 愛おしく感じる2人のお話に、応援したくなる話でした。
しじらみ
3.0
暴力というコミュニケーションと、平行線を辿るカンバセーション。便器に座って煙草を吸う。みたいな。
ご自由さん
3.0
ハル·ハートリー作品何本か挑戦もこの感性にはついて行けない。この作品はまだ解りやすいが、何せ題材の設定が並みではなく、お利口さんの私には理解し得ない。おかしなお馬鹿な男、おかしなお馬鹿な女、その回りのおかしなお馬鹿な家族としか見えない人達のふしぎな生き方のお話しである。 明るいようで暗く楽しいようで鬱陶しい賑やかなようで寂しい未來があるようで無いてな感じ。
akubi
5.0
世界との歯車がいつもなんだか噛み合わない。 そんな混沌で出会ったふたつの孤独がよりそう。くっついたり、離れたり。確かなものを求めたり、求められたり。それってtrust!ってこと?。 ほんものかどうか、わからなかったグルネード。弾けた瞬間から、始まる。 その哀しさと可笑しさとロマンチックがいつもあって、なぜだかそれらがわたしを安心させてくれる。寂しげだけれどあたたかな愛を。感じる。
akrutm
4.5
初めてのハル・ハートリーでしたが、かなり満足。エイドリアン・シェリー演じる女子高生マリアの成長物語ですが、登場人物が皆エキセントリックで独特の雰囲気や世界観を持っているにも関わらず、自然と共感できる部分も少なくなく、映像に釘付けになりました。若さと無知を恥じるようになったマリアが変わっていくにつれてどんどん魅力的になっていくのも見どころです。
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