이른 여름
麥秋
1951 · 드라마/코미디 · 일본
2시간 5분



혼기에 찬 노리코는 조건이 좋은 혼처를 거부하고 부모형제와 상의 없이 오빠의 친구이자 아이딸린 홀아비 켄이치와 결혼하겠다고 선언한다. 갑작스런 노리코의 태도에 가족들은 당황한다. 오즈의 대다수 영화들이 산업화와 서구화에 따른 가정의 해체에 관한 것이듯 이 작품도 딸의 결혼으로 대가족이 해체된다는 기본 골격을 따라 몇 개의 에피소드로 연결 된 홈 드라마이다. “스토리 자체보다 더욱 깊은 의미를 지닌 ‘윤회’라든가 ‘무상’이라든가 하는 것을 묘사하고 싶었다”는 오즈의 언급처럼 이 작품에서 스토리나 플롯이 중요한 기능을 하지 않음은 명백하게 드러난다. 일상적인 삶에 대한 세심한 탐구, 이야기의 과감한 생략, 시공간의 독특한 사용, 계속해서 변하는 행동의 리듬을 통해 오즈 특유의 소시민적 관점이 투영된 작품이다. (시네마테크)
笑いと推理が交差する、時代ミステリー
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about movie
2.0
人の人生って役割が巡り巡り、そして死ぬのだなぁと身に染みる。 自分が子供で親に不満を持つときもあれば、嫁に行くことで悩むときもある。そうこうしてると親になり、いつか子供と離れ、人生を振り返る。 本当に地味な本作だが、麦芽という名前はセンスがある。初夏の刈り入れ時の意味らしい。毎年時期がくれば、一年がまわり、人は変わっていく。そんなことを思う作品。
LIBRO
4.0
戦争の従軍経験がある監督らしく、火野正平の「麦と兵隊」が登場し、ラストはそれに合わせて一面の麦畑で終わる 「家族の別れ」と「監督自身の戦争での別れ」が他の小津作品よりも、強く反映されているような気がする
邊見 猛
5.0
스포일러가 있어요!!
矢萩久登
5.0
早稲田松竹さんにて『小津安二郎監督特集 紀子三部作 ~NORIKO TORILOGY~』(25年1月4日~10日)と題した特集上映開催中。 本日は『晩春』(1949)、『麥秋』(1951)、『東京物語』(1953)のそれぞれ4Kデジタル修復版を英語字幕付きで鑑賞。 英語字幕付きのためか外国の方や若い方の来館者も多く、70年以上前の作品にも関わらず150席の館内はほぼ満席でしたね。 『麥秋』(1951) 『晩春』(1949)に続く紀子(演:原節子氏)三部作の2本目。 前作で父娘を演じた笠智衆氏と原節子氏が本作品では兄妹の設定、さらに父親・周吉を演じた菅井一郎氏は当時44歳で笠智衆氏とは3歳しか離れておらず、笠氏もいつも以上に若作りしておりますが、最初の数十分は正確な家族構成の把握に苦心しましたね。 本作でもベースは適齢期(当時25歳)を過ぎた紀子(28歳)の結婚話ですが、前作の父娘から家族とその周辺まで人間模様を広げた構成。舞台も北鎌倉で変わらず。 本作で特筆すべきは良家の良縁に恵まれるよう望む家族や周囲の期待とは裏腹に最後は決して裕福ではない戦死した次男の友人で幼馴染の謙吉(演・二本柳寛氏)と結ばれるのですが、紀子と謙吉の間に恋愛模様、過程のシーンが一切存在しないところ。謙吉の母(演・杉村春子氏)がダメもとで何気なく「息子と結婚してくれ」と語ったところで快諾するだけ。 監督曰く観客に余白を残して各自でイメージして欲しいとのことですが、あくまでも紀子とその家族だけにフォーカスあてる意図であれば、大胆ですが尺を考えると悪くない判断ですね。逆に今の映画やドラマが余白を廃して説明過多になり過ぎているのでしょうね。 個人的には紀子が『どんなに良家のご子息でも40歳にもなって独身なんて信用できないわ』というセリフは70年前とはいえグサリと来ましたね。
星ゆたか
5.0
2022.1 映画〔麦秋〕は、時の流れと共に離散してゆく人間の出会いを、静かに受け止めた人達の物語である。この一家は、主人公・紀子の結婚を転機として、それぞれの道を歩んでゆくことになる。 『‥‥‥今が一番楽しい時かもしれないよ。』 『‥‥‥でもこれからだってまだぁ‥‥』 『いやぁ、欲を言やぁきりがないよ』 この作品は、各随所に微笑がこぼれるような楽しい至福のイメージに満たされているにもかかわらず、何がしら、一まつの無常感に、しっとり包みこまれてしまう。それは、登場人物達が、今は確かに楽しいかもしれないが、やがてきっとくる別れの時を、心のどこかで予感しているから。だからこそ、今の自分の気持ちを、幸福の瞬間に没入させ、心ゆくまで味わい尽くそうとしているのである。物語の終末あたりで、一家が記念撮影をする所がある。この写真の持つ意味合いの一つに。瞬時変化している人生を、少しでも未来に残すための努力ということがある。この一家の皆が揃うのも、これが最後かもしれないというような感傷を、年長であればあるほど持つていたに違いない。別れ、それはこの世にお互い生きながら、別々の人生を歩むことばかりではない。この世に生を受けたことと別れる、つまり死に別れる。避けがたい別れを、我々は背負って生きているのである。そのことに早く気がついてしまったことは、不幸なことか?‥‥知らない方が良かったのか?‥‥いや、知っているからこそ、気づいた以後の人生を大切に生きていこうと思えるのだろう。“麦秋” とは 麦の取り入れどき。初夏のころ だという。 (アナザーレビューストーリー) 運命の分岐点 第二の視点 《えぇっ‥‥どっかで見た事ある》 “紀子・結婚への決断” 『ものは言ってみるもんねぇ。もし言わなかったら、このまんまだったかも知れなかった‥。やっぱり良かったのよ。あたしおしゃべりで‥‥。良かった 良かった。あたしもうすっかり安心しちゃった。‥紀子さん、パン食べない? アンパン 』 近所の昔からの知人の婦人に、本当は息子の嫁になって欲しかった、と本音を言われ彼女は、すーと、素直に幸福になれるような気がして、同意してしまうのである。こうした日常会話の流れの中で、世間一般に言われる、何か重大な人生の転機となる事柄が、ごくすんなりと決まり、新たな展開になるその妙見‥‥。我々の日常生活を、より豊かな充実した人生にしようする時、やはり各々の積極的な言動が必要なのではないだろうか? 具体的な形がなくても、言ってみようか、やってみようか、と考えるだけの、感じている機会は必ずあったはずなのである。案外そんな機会が、物事をスムーズに運び、自分の気持ちもすっきり、結果のいかんにかかわらず晴れるものである。それなのに私達は、素直な勇気ある言動をせず、各々の感情や思惑が、新たな人生の転開を停止させてしまっていたのではないだろうか? 日頃、特に意識していなかった異性への愛情が、世間話に応じるように流露する。これはお互いの気持ちがわかり、安心・信頼できる関係の場合、案外、思いきった愛の告白をしずらくしているのかもしれない。この辺には、小津監督自身の密かな結婚への願いも込められたのか?
吉川 伊兵衛
3.0
女とは!わからん!いつの時代も、ほんと、何を考えているんだい笑 お父さんの視点で終始観てしまった25歳男です。 当然のことながら、今も昔も、個性的な人はいるもんだなぁと感心しました。 喫茶店でカップを持つときに左手でソーサーを一緒に持ち上げる仕草や、小道具のひとつひとつまで、とても魅力的な作品です。
ひろ
3.5
監督・小津安二郎、脚本は監督と野田高悟の共同執筆によって製作された1951年の日本映画 ・ 北鎌倉に住む間宮家では適齢期を過ぎた娘紀子(原節子)の結婚が何より気がかり。当の紀子は大手の会社で秘書として働き、いまだのんきに独身生活を楽しんでいる風だった。やがて、そんな紀子に縁談話が立て続けに舞い込むのだったが…。 ・ 小津監督のマドンナであった原節子が「紀子」という役名を演じた「紀子三部作」の二作品目である。日本映画の傑作と言われる小津監督の代表作のひとつでもある。テーマは家族や結婚という小津作品定番のテーマだが、「晩春」のように父と娘だけでなく、家族や友人を巻き込んだ複雑な人間模様が描かれている。 ・ 昭和の結婚適齢期といったら20代だが、そういう考えに反発するヒロインや、そんなヒロインにやきもきする家族の姿をユーモアに映し出している。当時にしてはモダンテイストな内容だが、これが終戦から6年しか経っていないと思うと本当に驚きだ。小津監督の結婚観は深い。生涯独身だった監督だからこそ、作品に異様な説得力を感じてしまう。 ・ “永遠の処女”と呼ばれた原節子、“日本の父親”と呼ばれた笠智衆、“女優の神様”である杉村春子、小津作品の名脇役・三宅邦子、宝塚出身スター・淡島千景といった最高のキャスティングはたまらない。自分勝手な原節子演じるヒロインに腹が立ち、心配を押し付ける兄を演じた笠智衆にも腹が立つ。空気を読まない杉村春子にも腹が立つが、みんな演技が最高だ。杉村春子が出てきただけで、どんな演技を見せてくれるか楽しみでしょうがない。 ・ 小津映画は人情話の完成形というだけでなく、ローアングル、切り返しショットなどで構成された映像技術が素晴らしい。茶の間を映しただけのショットで感動すら覚える。そこに暮らす人々の息づかいが聞こえてくる。ただ、漠然と映画を観るのではなく、そういう細やかな部分を感じながら小津安二郎を味わってもらいたい。
カズユキ
3.5
ケーキを隠すシーン好きだなぁ
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