
Schindler's Memo

The Box Man
Avg 2.6
原作は73年の安部公房による書き下ろしで、若い時に背伸びして読んだ記憶がある。 氏の他小説と同様で極めて難解(エピソードはランダムで収拾せず、書き手の人称も一貫していないし、各段の配列も唐突感がある)であるが、おそらくこうであろうという点はいくつか理解できる。 先ずは「男」であって女ではない。リファレンスの「葉子」があらゆる意味(すなわち生物学的、社会学的に)で女性であるのは明快である。そして「箱」はおそらく浮浪者、放浪者の装束だと思われる。 また、対立、もしくは共有するのが「偽医者」と「軍医」であり、箱男は傍観者であり観察者であって、さらに記録者もしくは執筆者であることから、作者(安部公房)自身の投影が「箱男」であるのはおそらくそうであろうと思われる。 安部公房は東大医学部出身でもあったのだが医師ではなく(すなわち偽医者)、むしろ少年時代から文系体質(すなわち作家)であり、強制的に放浪者(出身は東京だがすぐ満州に行って各地を転々、学徒動員の恐怖に常にさらされていた)であった。 小説は、これらの存在がどこに(もしくは何に)帰属するのかを、手を替え品を替え記述しているようにも見える。(ただし、こんなステレオタイプの小説ではないことは間違いなく明らか) となると、映画化にあたっては原作の「ある要素」を、監督の解釈によって抽出し、デフォルメするしか方法がないと思われる。 石井岳龍は、石井聰亙の時からこの原作の映画化を望んでいたらしく、やはりこの監督の特徴であるアナーキズムの背景と狂気の闊歩がはっきり現れていると思う。そこを観る映画だと思う。ただ、この解釈はこの原作の映像化の一方法であるに過ぎないのは確かではないだろうか。 私的には安部公房の小説の中で映画化できで成功したのは、やはり勅使河原監督の「砂の女」と「他人の顔」くらいだと思う。 本原作をはじめ、「方舟さくら丸」とか「第四間氷期」などは、映画化不可の領域なのではと思った。