Comment
ネタバレありです。 鬱映画として有名なミストですが、私は結末に不満がありました。 その不満がこの映画を評価しづらい原因でした。 なぜあの場面で子供を殺したのか? なぜあの場面で親子が出てきたのか? 長年不満でしたが、「ミスト 私がこの結末を衝撃的だと思わなかった理由」を読んで腑に落ちたので書かせて頂きます。 まずなぜにあんなに簡単に息子を殺してしまったのか? 私にも息子がいますが、息子を手にかけるとは余程のことです。 例えば子供が怪獣に食べられていてもう助からず苦しんでいて本人から殺して欲しいと申し出があった等の究極の選択の場合でしょう。 それにしては主人公の絶望感の描写が足らず怪獣になにかされた訳でもないのにあっさり息子を殺してしまいます。 車を置いて逃げる選択肢もあったでしょう。 無理心中する親と一緒で身勝手な殺人に見えとても共感できません。 監督はあえて不完全な描写をしています。 次にスーパーを抜け出した母親が終盤に出てきます。 そして主人公を侮蔑したような目線で見ます。(のように見えます) これも意味が分かりません。 同じ子を持つ親の立場としては変です。 主人公には息子がおり、助けて欲しいと言っても助けられない状況でした。 まして自分の子供が助からなかったのならまだしも助かったのに恨むと言うのも変です。 ここからはブログ引用ですが、この監督は狂信的なミセス・カーモディに2発銃弾を撃ち込む事で 1発目で観客を喜ばせ2発目で観客を我に帰らせて自分の攻撃性に気がつかせるという意図を見せるなど繊細な場面を撮る人です。 まず父親があっさりと諦め子供を殺す事で観客に不満と戸惑いが残ります。 あえて不完全な描写で1度結末を見せます。 これが完全だと父親に対して同情が残ってしまいます。 そして母親の侮蔑した表情ですが、子供を助けてくれなかったことに対してではなく子供をあっさりと殺してしまった主人公に対しての侮蔑だと思われます。 (母親は息子を殺したことを知りませんが、ダラボン監督からの意図的な演出と考えられます) この映画は主人公側に立てると同時に哀れで愚かな主人公を見る母親側にも立つ事が出来観客によって見方を変えれるよう意図しているからです。 監督が「観客に問いを残そうとした」と言ってるのはこういうことだと考えられます。
This comment contains spoilers.
30 likes0 replies