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星ゆたか

星ゆたか

2 years ago

2.5


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Okiku and the World

Movies ・ 2023

Avg 3.3

2024.5.14 サーキュラーエコノミー(環境型経済)の概念を基準として、立ち上げた。 〈YOIHI PROJECT〉の第一弾。 5R(Reuse Reuse Repulr Recycle+Return〉 ん基本理念とする。 この映画は江戸末期の時代。 貧乏長屋を舞台に、ある事件で声を失った、武家育ちだが訳ありで暮らしている『おきく』という娘と。 下肥買いをして生計を立てている矢亮と中次という青年らのふれ合いを中心にした。 下層社会の人々の日常を描いた映画である。 2023年のキネマ旬報のベストワンを米国のアカデミー賞候補にもなった「PERFECT DAYS」(ヴィム・ヴェンダース監督)を押さえて。 60名の選者投票において、192点(わずか4点差)獲得の結果であった。 見る前から、『題材の糞尿描写が多い』の声を見聞していたので覚悟の鑑賞であったが。 あまりの多さに、ギブアップしてしまった。 悲惨な現実を知る意義と同じ、報道価値のある映像と同じ。 一度見れば充分、二度見たいかと問われれば、『遠慮します』と答えたい。 想像したくない、汚さ、臭い、不衛生さなどを。 これでもか、これでもかと押し付けられる不快感は、戴けない。 人間も死んだら土に戻って自然に還り、自然の肥料となる。 人生の物語も心の肥やしとなる。 自然も人も死んで生かされ肥料となる。 その意義は大切としても。 人間の形を足から立ち上がり、頭を天辺にしたように。 趣の価値を上下関係にした時。 一番下の排泄物を一番上の頭から、被らせる場面が何度もあった時。 これは情報の伝達として。 しかも芸能の映像手段としては、限界であって。 そう何度も言い聞かせる事はないというのが、私の持論である。 つまりこれは、地面に密着する唯物論と。 頭の上の方の視点、唯心論 にまで発展する話で。 あの神話のリンゴの実をアダムとイヴに食べる事を勧めるヘビ(唯物論の象徴)の話。 だから、それまでは神の子の唯心論でいた、自然の生まれたままの姿の裸の彼らが。 急に知恵の実(唯物論)を食べる事で。 急に裸が恥ずかしくなり、いちじくの葉で身を隠すように。 この人間の唯物論のせいで。 彼ら、我らの祖先はエデンの東の土地へ追いやられ。 そこから罪の子であるという話に繋がり。 だからこの映画の“糞尿への執着”は結局、唯物論の信条の形になるという。 えらいこの場では飛躍の話になる訳だが。 それでもって、やはり私は心情的にこの映画の糞尿描写は、好まないという事になるのだ。 そもそもお金を払って、多くの人達が、日頃の鬱憤を一時でも忘れたくて、劇場へ足を運ぶのに。 何も自分の所で見る気になれば見られる排泄物、場所、行為を好き好んで見たいと思うものだろうか。 むしろこの作品では。 何故あの佐藤浩一さん、黒木華さん、父娘がある日呼び出され。 数人の侍に切られなければならないのか? あるいは、下肥買いの際。 農民や武家屋敷の下侍に。 何で頭から糞尿を浴びさせられなければならないのか? そういう理不尽は現代でも、どこの国でもあるとしても。 『そんなにお前達は偉いのか?』『やっぱり〔士農工商〕だからか?』 と言いたい。 だから、その辺の素朴な怒りに対する、社会の仕組みの説明の描写がもっと欲しいのだ。 見たい映像はそっちじゃないかと思うのだ。 とすると、この映画は、〈環境保全〉〈循環という価値観〉をあまりにもお膳立てされているので。 その為の過程要素の描写にこだわりすぎて。 もちろん大切な事であるが。 もっと大きな、その環境を形づくっている上の方の社会の。 それこそ《せかい》観が描けず。 江戸時代の下の方の貧民層の若者の〈青春〉スケッチにとどまってしまった感じがして、惜しい気がする。 それから基本的には、白黒画面の映画なのだけれど。 時々色彩を浴びてカラーになる所がある。 その“狙い”が今一つ分からない。 例えば登場人物の心情を反映してとか。 あるいは自然の美しい背景に色を着けたくなったとかでもなさそうだし。映画上のアクセント?。  これらは一体? と言っても、この映画の俳優陣の充実ぶりの魅力は。 やはり一般人じゃない、いい俳優を見たい観客心理だし、それこそが映画本来の楽しみなので付け加える事に。 佐藤浩市さん、寛一郎さん親子共演。『似てますねぇ』三國連太郎さんから繋ぐ俳優魂! また池松壮亮さんだから、あの糞尿の汚さが緩和されたのだし。 またいい風に年を重ねている眞木蔵人さん、ベテランの味、石橋蓮司さん。 そして最大なのは、まるで泥沼の蓮の花のような美しさの黒木華さん。 もうこの映画の救いの魅力と言っていい。