
星ゆたか

Twenty-Four Eyes
Avg 3.6
2022.1 (あんな可愛いい瞳を、私はどうしても濁しちゃいけない、と思った。) 原作〔壺井栄・1900―1967・昭和27年・出版〕で、女学校の師範科を卒業したばかりで、瀬戸内海の小豆島の分校へ赴任してきたヒロインの、大石先生が、汚れなき六歳ぐらいの子供たちを眼にして、思った。と書かれている。 木下恵介監督・高峰秀子主演コンビによる最高傑作と謳われた映画。 また二人にとっても絶調期のころの作品で、木下監督は同年、「女の園」とで、なんと、あの黒澤明監督の、「七人の侍」を抜いて、ベストテンの1位、2位を独占する快挙。高峰さんもこの木下両作品に出演し女優賞を受け、さらにその翌年には、「浮雲」 成瀬巳喜男監督作品で、これまた最高評価を受けた。(彼女29歳の時の出演作。) また映画興行界事態も、昭和の戦後の最も隆盛期の、(1950年から1956年)作品だ。 戦争の醜悪な面をえぐり出すでなく、もっぱら酷い目にあいながら、愛情を失わなかった、心の美しい人びとの堪え忍ぶ姿だけを、美しい風景の中で描いた反戦映画。 “泣きミソ先生”とあだ名した先生と、自分たちのイタズラで怪我させて、会えなくなり、9キロの峠道を7歳の12人の子供たちが、トボトボと歩いてゆく。お互い、元気ずけに、♪からす なぜなくの‥‥‥♪と歌いつづけ、陽もくれはじめ、心ぼそくなって泣き始めた頃、やっと病院帰りのバスの先生にめぐりあい‥‥ ここの一連の場面には、大いに泣かされました。またこの中で、子供たちを演じたのは、地元の十二組二十四人の素人の兄弟姉妹。分校時代をその弟妹、本校時代を兄姉に演じさせたという。 かつて日本映画界では、オトコの黒澤、オンナの木下、とその描写する世界を、抜きん出た二大巨匠として、称賛した。しかし海外でも高く評価された黒澤さんに対して、木下さん作品は、なかなか報われなかった。そしてそれは、いつしか国内でも‥‥‥‥。 その辺の口惜しい思いを、1999年、87歳で亡くなられた木下さんの葬儀で、かってのまな弟子の、脚本家の山田太一さんは、弔辞で語った。 『‥‥日本の社会はある時期から、木下作品を自然に受けとめることができにくい世界に入ってしまったのではないでしょうか。しかし、人間の弱さ、その弱さがもつ美しさ、運命や宿命への畏怖、社会の理不尽に対する怒り、そうしたものにいつまでも、日本人が無関心でいられるはずがありません。ある時、木下作品の一作一作が、みるみる燦然とかがやき始め、今まで目を向けなかったことをいぶかしむような時代がきっとまた来ると思っています。‥‥‥』