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dreamer

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3 years ago

4.5


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The Shadow Within

Movies ・ 1970

Avg 3.3

野村芳太郎監督、橋本忍脚本、川又昂撮影、芥川也寸志音楽という、松本清張の映画化の常連のベテランたちが結集して作った「影の車」(原作のタイトルは「潜在光景」)は、清張物の中では、「砂の器」と並んで最高傑作の映画だと思う。 開巻早々、サラリーマンたちがそわそわと退勤し、新興住宅地を走るバスで家路を急ぐシークエンスだけで、映画は昭和45年のムードを見事に描き出す。 昭和45年と言えば、大阪万博の年、戦後の高度経済成長期を虚心に駆け上がって来た人々が、慎ましくも衣食満ち足りて、郊外に新しい家を構え、精神的な踊り場にさしかかったような頃だったと言えよう。 そして、そんな大多数の中の、普通の市民のひとりであったはずの、旅行案内所でこつこつ働く浜島(加藤剛)が、再会した幼馴染みの泰子(岩下志麻)とほんの出来心で関係を結んでしまうところから、彼の平穏な日常にひびが入る。 松本清張の小説にしばしば登場する、小心なくせに利己的で女や賭博に溺れてしまう小市民の男を、加藤剛が絶妙に演じている。俳優座所属の演技派の加藤剛は、端正な容貌から、「砂の器」の劇画チックで悲劇的な二枚目や、TVの「大岡越前」のような生硬なヒーローといった役柄を配されることが多いが、実はこういう精神的な脆弱さが表に出たような、小物の悪人といった役柄が凄く似合っていると思う。 恐らく、本人もいつにない役柄を面白がって熱演したのだと思うが、この「影の車」の勤続12年の係長役は、本人があまり気にいらなかったという「砂の器」の天才作曲家役よりも、ずっと加藤剛の潜在的な才能を引き出していたと思う。 単調な会社勤めや社交好きのかまびすしい妻・啓子(小川真由美)との毎日にも、ややうんざり気味の浜島は、夫と死別して6歳の男児・健一を抱えながら、女の色香を持て余している泰子に、ずるずるとのめり込んでいく。 この真面目に遊ばずにやってきた無趣味な男が、色欲にのめって、羽目を外したらどうなるか? その歯止めの効かぬ危うさを加藤剛は、細かい演技で表現するが、一方の岩下志麻のこの頃の妖艶さもただならないものがある。 この二人が子供そっちのけになっていく薄情さも、それを埋め合わせようと、とってつけたようなサービスをする姑息さも、そのひとつひとつが、実にきめ細かく描かれており、健一が殺意を帯びる前提が周到に築かれる。 そして、健一が浜島に仕掛ける毒饅頭やガス漏れといった、ちょっとした子供の殺意がリアリティを帯び、それが自らのトラウマと符号した浜島は、ノイローゼ気味に健一に恐怖を覚えるのだが、ここで開陳される浜島の幼児期の回想=「潜在光景」の描写は、実験的でありつつ物語の求めるイメージと見事に合致している。 撮影監督の川又昂は、カラーのマスターポジとモノクロのネガをずらして重ねるという着想をもって、まさに虚実の皮膜を映像として具現化して、我々に見せてくれる。 この映像効果によって、幼い浜島が健一とまるで同じ理由で伯父(滝田裕介)を断崖から落として絶命させた記憶が、まがまがしさと美しさのないまぜになったイメージで鮮烈に描かれて、この映画のピークをなしていると思う。 そして、この映像に加うるに、芥川也寸志のフランシス・レイ風のメランコリーを志向したようなメロディが全篇にさざめき、観終えた後も、いつまでも耳に残って離れない。 こうした一流のスタッフとキャスト、それぞれの意欲的な試みを、例によって鷹揚に、寛大にまとめあげた野村芳太郎監督の手腕も、実に見事だったと思う。