
horahuki

Climax
Avg 3.2
「生」のダンス。 冒頭の反時計回りのカメラで逆行していくことを予感させてからの、見終わった観客向けのメッセージ&エンドロールスタートという破茶滅茶具合は流石の(いつもの)ノエ監督。もはや安心感。 回転カメラでの時間の不可逆性は『アレックス』でも同趣旨のことをしていたことを考えると、同様の意図を持ってあのプロローグ(エピローグ)を配置したのだと考えられるし、本作でも同様に虚しさを一層際立たせている。 そして見どころとなるダンスは圧巻。微妙には動かしつつも基本的には固定カメラで正面からダンスを捉えてるだけなのですが、矢継ぎ早に繰り出されるダンスの応酬と手前にも奥にも所狭しと配置される情報量が画面の固定化を防いでいて、固定カメラでの長回しなのに一切飽きることがないし、むしろどんどん引き込まれていく。横にはふらず、時折真上に移動しての回転を挟み込み、全体像を捉えることは重視せず、あくまでもスクリーンの枠でもって彼らを切り取ることで躍動感と迫力がグワッと迫ってくる感じ。ダンスって上から見るとこんな印象変わるんやってのも新しい発見! キャラクターを背面や正面に回り込みながら移動して追いかけるのは、ノエ監督が大好きな『鮮血と絶叫のメロディ』からの引用で流れるような気持ち良さがあるし、次々に橋渡しをしながら掘り下げていくのも没入感があり鮮やかで引き込まれる。その中で何かしら一つ二つ印象的な事柄を作り、物凄い数のキャラクターたちも時間が経つに従って名前含めて判別可能になってくるってのはマジで凄いと思う。最初多すぎて諦めてたもん。 そんで内容的にはすげぇブニュエルっぽいなって思った。そんでもちろんいつものノエ監督っぽさも全開。『カルネ』『カノン』『アレックス』『エンター・ザ・ボイド』の要素を其処彼処に散りばめ、意思の外に起点を設置し、「日常」からの逸脱へと誘導する。 起点により取っ払われた規範のもと、抑えられない感情が溢れ出し歯止めが効かなくなるのもいつも通り。本作の場合、みんなLSDでラリってるわけだけど、邪魔者は排除し、子どもは放ったらかし、そんで性と暴力で溢れたわけわからんカオスな世界って結局は現実と同じなわけで、LSDによるシュールさと「薬のせいだから…」っていう大義名分が見てる側の人間としての尊厳をギリで保たせるための擁壁になってるだけで、これこそ人間だよねってのを突きつけるのは凄くブニュエルっぽいし、抑えきれずに溢れ出た行為がもたらす(こんなはずじゃなかった的な)結果と不可逆性は『アレックス』と凄く近い。 だから最初のダンスってのはあくまでも規範のもと創作された外枠としての自分を表現したダンスなのであって、それと対比される後半の地獄はまさに自分そのもの(人間そのもの)をさらけ出した「生」のダンスだったんだろうなって思った。そう思うとトリアー(特に『ハウス・ジャック・ビルト』)とも近い気がする。 『LOVE』は結局見ずに挑んだのですが、見てたら色々と共通項発見できたりしてより楽しめたのだろうからそこは少し残念だったけど、ノエ監督作品は初の劇場観賞だったのでとにかく劇場で見れて良かった。