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1961年4月17日にカストロの新キューバ政権打倒の侵攻作戦(ピッグス湾侵攻)が失敗したが、この事件を軸にし、それを指揮したCIAのエドワード・ウィルソン(マット・デイモン)の半生が、フラッシュバック的に描かれ、同時にこの事件の謎が暴かれていく。 1925年生まれのウィルソンが、父の自殺を隣室で経験した幼年時代、イエール大学でフレデリック教授(マイケル・ガンボン)のもとでドイツ文学を学び、また、恋人となるローラ(タミー・ブランチャード)と知りあう1940年代。 ルーズベルト大統領によって作られた戦略情報局OSSのメンバーとなって、ベルリンに赴く、第二次世界大戦勃発期。 トルーマン大統領によってCIGが作られ、それがCIAになる1947年から1950年代へと複雑にフラッシュバックする。 この映画「グッド・シェパード」は、時代を頻繁に日付入りで前後させるだけでなく、政治的事件とウィルソンのパーソナルな問題とを入れ子にして描き、そのまさにパブリックとプライベートの領域の絡みあったところに(ウィルソンとその息子との関係)ピッグス湾侵攻の失敗を位置づける。 なかなかスタイリッシュな映画だ。 ウィルソンが、CIAを支える人物になる発端は、イエール大学内のワスプ(WASP)のエリートで結成された秘密結社「スカル&ボーンズ」に入会したことだろう。 これと前後して、FBI捜査官サム・ミュラッハ(アレック・ボールドウィン)にオルグされ、親ナチ派のフレデリック教授のスパイをし、教授を失墜させるというエピソードがあるが、ミュラッハも、「スカル&ボーンズ」と無関係ではない。 ひょっとして、ミュラッハは、「スカル&ボーンズ」の支持でウィルソンに接近したのかもしれない。 いずれにせよ、フレデリック教授との関係で、ウィルソンが果たした業績は、彼のその後のキャリアを保証することになる。 ウィルソンをOSS(CIAの前身)を組織したサリヴァン将軍(ロバート・デニーロ)に紹介するのが、後にCIA長官となるフィリップ・アレン(ウィリアム・ハート)で、二人とも「スカル&ボーンズ」のOBだ。 秘密結社と情報・諜報機関との関係は、映画でも物語でもお馴染みのテーマであるが、事実はどうなのだろうか? 秘密結社というものは、その語の示唆するように、その実体はわからないわけだから、秘密結社→情報・諜報組織という系図と、情報・諜報組織による政治操作・政権支配という構図は、歴史を「陰謀理論」的な単純化へ矮小かしかねない。 だが、いくら陰謀を企て、シナリオを組んでも、その通りに行かないのが歴史というものだ。 その意味で、この映画は、情報・諜報組織による政治支配が、結局は失敗することを描いている。 そして、その際、そうして計画的な陰謀を覆すのが、家庭や愛情関係の中の偶然性なのだ。 殺人や戦争や政治操作は、ある程度まで計算づくで進めることができても、家庭や愛情は、些細なことで予想のつかない結果を生むものだ。 映画は、ピッグス湾侵攻の失敗が、戦略や戦術の失敗によるものではなく、予測不能のパーソナルな偶発事から生じたことを描いていく。 自分を殺して組織に忠実だったウィルソンにも、恋人のローラとの蜜月時代に、「スカル&ボーンズ」の先輩のラッセル上院議員の娘クローバー(アンジェリーナ・ジョリー)と一時的な性交渉を持ち、彼女が妊娠してしまうとは考えなかった。 ウィルソンは、クローバーの兄に命令され、彼女と結婚する 時代は1940年代前後だから、女が妊娠したら結婚するというのは割合、普通のことだった。 しかし、映画が明示してはいないが、二人の出会いは、「スカル&ボーンズ」の陰謀であったと考えることは可能である。 だが、しかしながら、どんなに聡明な陰謀家や陰謀組織でも、生まれてくる子供が、どういう子供になるかまでは、プログラムできない。つまり、「陰謀史観」は、成り立たないのだ。 マット・デイモンが、学生時代から50代ぐらいまでの年令を演じるが、息子(エディ・レッドメイン→なかなかいい)と一緒にいる時などは若すぎる感じがする。 他人を誰も信じられない、信じてはいけない諜報組織と家庭の家族関係とが対照的に描かれる。 ここでは、当面、家庭が前者の犠牲になるが、最後にその関係が逆転する。 たった一人の人間が、他人を信じてしまったために、米軍の「ピッグス湾襲撃」は失敗した。 アンジェリーナ・ジョリーが、久しぶりに普通の女を演じている。 組織の仕事で何年も家に帰らず、父を知らないで育った息子のことで、彼女が演じる妻が「あなたは子供のことを何もしなかった」と夫のウィルソンを責めると、彼は、「息子のために結婚したじゃないか」と言い、彼女は深く傷つき、二人の関係は修復不能に陥る。 「理知的」であるはずのウィルソンも、家庭を操作するのは難しい。 2時間47分という長さはいらなかったような気もするが、子供が生まれ、成人する時間を感じさせる意味では、必要な時間だったのかも知れない。 しかし、この時間の長さ、場所の多様さにもかかわらず、頻繁に変わる時代と場所のために、長ったらしい感じはしない。 CIAや秘密機関も「ファミリー」であるが、「結社」としてのファミリーと家庭としてのファミリーは違うということをこの映画は描いている。 結社としてのファミリーは、通常のファミリーとは両立しない。 恋人はみなアフリカン・アメリカンというデニーロらしく、ウィルソンの息子の恋人は、ドミニカ共和国のカラードの女性に設定してある。 ヴァレンティン・ミノロフと名のるソ連からの亡命者が出てきたため、すでにCIAの協力者になってい、同姓同名の元KGB士官とどちらが本物なのかがわからなくなるという事態が発生し、ウィルソンが、その亡命者の尋問に立ちあう。 ジョン・タトゥーロが演じる暴力的な部下が、亡命者を拷問するシーンが実にリアルだ。
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