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kao_matsu

kao_matsu

8 years ago

4.5


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Ulysses' Gaze

Movies ・ 1995

Avg 3.9

この作品が公開された1996年、奇しくも同じ旧ユーゴスラビア共和国だった国々の情勢を描いた『アンダーグラウンド』も公開されていて、テオ・アンゲロプロスとエミール・クストリッツァ、両巨匠の監督作品を映画館にて初体験という、何とも贅沢な年だった。ベルイマンやタルコフスキーのような究極の映像作家は、もうこの先現れないだろうと諦めかけていた矢先の、新鮮なショックと喜びを感じたのを覚えている。悲劇と喜劇、その両極端を疾走する、怒涛のジェットコースター・ムービー『アンダーグラウンド』に対して、幻の映画フィルムを探し求める一人の映画監督の、孤独な国境越えの旅をじっくりと静かに追いながら、1990年代のバルカン半島が抱えていた厳しい情勢を浮き彫りにするロードムービーでもあるこの映画は、いぶし銀の味わい深い旅情の趣においては、アンゲロプロス作品中でも随一。              ◆ この映画を観てまず驚いたのは、あるシークエンスの中で、連続する長いワン・ショットの中で、主人公が現在の姿のまま幼少時代にタイムスリップして、自分と同い年くらいの母と再会するという、一般的な映画やドラマでは禁じ手のような映像トリック。最初観たときは、この時間移動がまったく分からず困惑したが、これこそがアンゲロプロス映画の常套句だと知ってからは、この大胆な映像トリックを観るのが病みつきになった。時間軸を縦横無尽に駆け巡る、その自由な手法もさることながら、決してファンタジーではなく、ギリシャからサラエヴォまでの長い旅の中で、人種や民族、国家を隔てる「国境」を主人公に幾度も越えさせることで、人類の恒久平和への希望を託す、アンゲロプロスの尊い想いがひしひしと感じられた。とはいえ、内戦や民族紛争の多い国と国をまたぐことの困難さや意義は、飛行機での海外旅行以外に国境を越えたことがない私には、想像を絶するものがある。  ◆ 主人公の映画監督はアメリカ人ということで、その配役には、絵になりそうなマルチェロ・マストロヤンニやアラン・ドロンのようなヨーロッパの色男ではなくて、ハーヴェイ・カイテルを起用したことが、この作品に渋みと客観性を与える重要なポイントになっている。ちょうどこの映画の公開の1年ほど前に、ウェイン・ワン監督『スモーク』のハーヴェイ・カイテルに魅了された私にとっては、この配役は意外かつ嬉しかった。それはあたかも、ルキノ・ヴィスコンティ監督が『山猫』で、イタリア貴族の老侯爵役にあえてハリウッド・スターのバート・ランカスターを起用したときのように、良い意味での違和感と親近感を映画に与えたようだ。また、終盤に出てくる、映画博物館の館長の役にはエルランド・ヨセフソン、共同脚本にはトニーノ・グエッラが参加していて、アンゲロプロスがベルイマンやアントニオーニ、タルコフスキーの系譜であることが分かり、これまた嬉しかったりする。それにしても、マヤ・モルゲンステルンは何故一人4役だったのかな? まだまだ分からないことだらけだ。