Ulysses' Gaze
To vlemma tou Odyssea
1995 · Drama/War · Greece, France, Italy, Germany, UK, Yugoslavia, Romania, Albania, Bosnia and Herzegovina
2h 56m



"A," a Greek filmmaker living in exile in the United States, returns to his native Ptolemas to attend a special screening of one of his extremely controversial films. But A's real interest lies elsewhere--the mythical reels of the very first film shot by the Manakia brothers, who, at the dawn of the age of cinema, tirelessly criss-crossed the Balkans and, without regard for national and ethnic strife, recorded the region's history and customs. Did these primitive, never-developed images really exist?
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3.2.1.0
3.0
失われたフィルムを求め旅する物語。バルカン半島って何となく聞いたことある程度だったけどヨーロッパの火薬庫と称されるところだったか。 これは正直かなり後半まで観てるの辛かった。単に私が無知なのがいけなかったんだけど。霧の映像はじめ、映像はやっぱり綺麗だったけど(とはいえ先に観ていた「シテール島への船出」や「こうのとり、たちずさんで」ほどじゃなかったな。美しいんだけどね。)内容そのものはこの監督の他作品に比べても全然頭に入らなかったな。元々難しいな~とは思ってるけど。ヨーロッパの歴史勉強してから観た方がよかったか。
akubi
3.0
ワルツのように踊る過去と記憶と歴史。 溶けだして茶色く濁った雪を踏むぐちゃっとした足音が、わたしの追憶にまでその湿り気を滲ませる。 散り散りに失くなった大切なものを甦らせるように幻のフィルムを探す果てしもない旅。 行き場のない望郷の叫びと二度と戻らない愛を吸いあげるような激しい接吻は、漆黒の海へ向かう河に浮かぶ月のように儚く消えてゆく。 立ち上る黒煙の隙間から空を見上げ、僅かばかりの青にむかって祈るように両手を広げて仰いだ。 絶望しているひまもなく、霧を纏いそこに音楽を響かせ、憎しみが通りすぎるのをどこまでも待っている。
NARU
3.0
霧の中を歩くシーンが印象的。
Tama
2.0
クドい。 時間軸の移動は好き。
りょくう
4.0
382
Keiji
4.0
テオさん
kao_matsu
4.5
この作品が公開された1996年、奇しくも同じ旧ユーゴスラビア共和国だった国々の情勢を描いた『アンダーグラウンド』も公開されていて、テオ・アンゲロプロスとエミール・クストリッツァ、両巨匠の監督作品を映画館にて初体験という、何とも贅沢な年だった。ベルイマンやタルコフスキーのような究極の映像作家は、もうこの先現れないだろうと諦めかけていた矢先の、新鮮なショックと喜びを感じたのを覚えている。悲劇と喜劇、その両極端を疾走する、怒涛のジェットコースター・ムービー『アンダーグラウンド』に対して、幻の映画フィルムを探し求める一人の映画監督の、孤独な国境越えの旅をじっくりと静かに追いながら、1990年代のバルカン半島が抱えていた厳しい情勢を浮き彫りにするロードムービーでもあるこの映画は、いぶし銀の味わい深い旅情の趣においては、アンゲロプロス作品中でも随一。 ◆ この映画を観てまず驚いたのは、あるシークエンスの中で、連続する長いワン・ショットの中で、主人公が現在の姿のまま幼少時代にタイムスリップして、自分と同い年くらいの母と再会するという、一般的な映画やドラマでは禁じ手のような映像トリック。最初観たときは、この時間移動がまったく分からず困惑したが、これこそがアンゲロプロス映画の常套句だと知ってからは、この大胆な映像トリックを観るのが病みつきになった。時間軸を縦横無尽に駆け巡る、その自由な手法もさることながら、決してファンタジーではなく、ギリシャからサラエヴォまでの長い旅の中で、人種や民族、国家を隔てる「国境」を主人公に幾度も越えさせることで、人類の恒久平和への希望を託す、アンゲロプロスの尊い想いがひしひしと感じられた。とはいえ、内戦や民族紛争の多い国と国をまたぐことの困難さや意義は、飛行機での海外旅行以外に国境を越えたことがない私には、想像を絶するものがある。 ◆ 主人公の映画監督はアメリカ人ということで、その配役には、絵になりそうなマルチェロ・マストロヤンニやアラン・ドロンのようなヨーロッパの色男ではなくて、ハーヴェイ・カイテルを起用したことが、この作品に渋みと客観性を与える重要なポイントになっている。ちょうどこの映画の公開の1年ほど前に、ウェイン・ワン監督『スモーク』のハーヴェイ・カイテルに魅了された私にとっては、この配役は意外かつ嬉しかった。それはあたかも、ルキノ・ヴィスコンティ監督が『山猫』で、イタリア貴族の老侯爵役にあえてハリウッド・スターのバート・ランカスターを起用したときのように、良い意味での違和感と親近感を映画に与えたようだ。また、終盤に出てくる、映画博物館の館長の役にはエルランド・ヨセフソン、共同脚本にはトニーノ・グエッラが参加していて、アンゲロプロスがベルイマンやアントニオーニ、タルコフスキーの系譜であることが分かり、これまた嬉しかったりする。それにしても、マヤ・モルゲンステルンは何故一人4役だったのかな? まだまだ分からないことだらけだ。
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