
西山コタツ

Asahinagu
Avg 3.2
単純に話がつまらない。 エモーションが高ぶらない理由の大部分は、強さの定義を作り手がちゃんと考えていないからだと思う。主人公が手に入れた試合のロジックを実写で説得させるには、ちゃんと身体的な特徴や姿勢の変化を目で見て理解できる撮り方をしなければ意味がないし、それができないのならキャスティングから考え直す必要がある。 さらにチームものの掟「個人は集団に勝てない」という結論に結びつけるには、描かれていることのほとんどが個人の成長だけに留められているので、展開に飛躍を感じてしまう。努力型の主人公ならまだしも、天才型の先輩がチーム愛に目覚めたところで、それはチームの強さとは別物だし、しかもその愛の目覚めさせ方が逆効果というか、「個人の力が足りないから負けた」と思っている人物が、結局自分の至らなさで評価に結びつかない展開に陥ってしまうのは、「やっぱり自分が頑張らないと」と思わせてしまうだけだと思う。彼女をもう一度チームに引き戻すエピソードはいちばん丁寧に作るべきパートかもしれないし、もともと強者の設定であるのに、序盤で引き分けにされてしまう試合が出てくるので、最初から「あの人いつか負けそうだな」という気持ちにならざるを得ない。そこは観客を騙さないと! あと根本的な問題として、監督の資質がスポ根ものと合っていない気がする。フィクションラインが高すぎること自体は悪くないが(嫌いだけど)、「トリガール」と同様に、心情を吐露する場面や説明台詞を頻繁に、しかもデカい声で挿入してしまう癖は、「競技」という緊迫感を持った場面では極力排するべきだ。トリガールにおけるナダル、あさひなぐにおける中村倫也のポジションは、コミックリリーフにしてはノイズだし、いたずらに邪魔な存在と化しているのはいただけない。 おそらく「ちはやふる」の実写化成功に引きづられ、真似た演出も多々見られるが、どうしたって上手くいっていないと思う。別に演者のクオリティではなく、話の組み立て方が悪いのだ。根本的な題材として、「薙刀」が防具をつけて闘うだけに没個性的になり、競技中に顔の表現を封じられてしまう時点でおなじアプローチは成立しないのだから、より明確な試合展開、強さのロジックを根性論抜きで、しかも画で説得させる必要がある。こんなに難しい題材に挑戦したら、そりゃ上手くいかない。薙刀が剣道とは違うことが具体的にわかりづらいし、スローが映えるほどの凄みがない。というより、作り手が薙刀を愛していない。対戦者が主人公たちを引き立てる背景としか考えていないから、デカい声を出して中断させたり平気で出来るのだ。 それに現状、尼僧との絡みは顧問が気まぐれで決めた合宿先の師匠になるので、たとえば審査員たちとの因縁を思わせるやり取りなどは不自然すぎるし、目まぐるしく表情が変わるただの「解説させるために存在するキャラ」になってしまっているのは、一気に雑魚キャラっぽく見えてしまう。 とはいえ、スポ根ものの面白さとはなんだろう、と考えるいいきっかけになったので、観てよかった。