Jules and Jim
Jules et Jim
1962 · Drama/Romance · France
1h 45m



In Paris, before WWI, two friends, Jules (Austrian) and Jim (French) fall in love with the same woman, Catherine. But Catherine loves and marries Jules. After the war, when they meet again in Germany, Catherine starts to love Jim... This is the story of three people in love, a love which does not affect their friendship, and about how their relationship evolves with the years.
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雅哉
4.0
ここで描かれる自由恋愛像は後のアメリカン・ニューシネマやフリーセックス、ヒッピーの誕生に結実した。「俺たちに明日はない」のシナリオが最初トリュフォーに持ち込まれたこと(彼は監督を断った)や、「明日に向かって撃て!」の三角関係が本作に似ているのは偶然ではない。「突然炎のごとく」の原題が「ジュールとジム」、「 俺たちに明日はない」が「ボニーとクライド」、「明日に向かって撃て」が「ブッチ・キャシディとサンダス・キッド」だしね。2人の名前を並べている。本作には映画がスタジオの中から解放された自由な空気が横溢している。それを象徴するのが3人で自転車に乗るシーンであり、カトリーヌがセーヌ川に飛び込むエピソードだ。これは後に「ラ・ラ・ランド」でヒロインの叔母さんの回想として言及されている。
星ゆたか
3.5
2022.9.30 【座談会レビュー】第19回 〔フランソワ・トリュフォーの冒険〕 生誕90周年特別上映のニュースを受けて。(12作品ほど公開予定。) いつものように。星ゆたか、光みちる、風かおる、雲かすみ、雨みつおのメンバーでお送りします。 (星)1959年の「大人は判ってくれない」は、世界の若い映画世代に影響を与えたフランスのヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)の代表的な一作。クロード・シャブロルの「いとこ同志」とジャン=リック・ゴダールの「勝手にしやがれ」らと共に注目されたトリュフォー監督の、今回の作品は第三作目です。 日本公開は1964年(昭和39年)2月でした。この年は秋に東海道新幹線開通、東京オリンピックが10月に開催された年です。女子バレーの決勝戦で日本の“東洋の魔女”と呼ばれたチームがソビエトと対決し、そのTV視聴率が92.4%という、今では“考えられない”記録があります。一気にカラーテレビの人気が加熱したとも言われました。 また五年前の映画観客入場動員のピークに比べ、この年は半分以下の5億人台になったとか。でも映画鑑賞が娯楽の中心にあった時代と今日を比較したら、この数字は決して悲観すべきもんでもないのかな?。 (光)トリュフォー監督は1932年2月6日パリ生まれです。幼少時から苦労し育ち、14歳の時アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督の「密告」(43)を見て映画監督を志すようになったそうです。20代前半は映画評論を《カイェ・デュ・シネマ》などの雑誌に寄稿していたらしい。後年アルフレッド・ヒッチコック監督にインタビューした「定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー」は時代を越えて読み継がれる名著として有名です。 「柔らかい肌」(63)「恋のエチュード」(71)「アメリカの夜」(73)「隣の女」(81)など数々の傑作を残し、自作以外にもスピルバーグの「未知との遭遇」(77)の俳優出演もありました。私生活では女優ファニー・アルダンと81年に再婚、惜しくも84年10月21日、脳腫瘍のために52歳で死去されました。 (風)この映画の原作は、アンリ=ピェール・ロシェの小説「ジュールとジム」で、74歳の時書いた処女作だそうです。トリュフォーによると『(ロシェは)小説家ではないが絵画を深く愛し、ピカソをアメリカに最初に連れていった人。』とか。 (雲)1912年頃、パリにやって来たドイツ青年ジュールとフランス青年ジムが、文学や文化教養の話題で意気投合し仲良くなります。ジュールの友人アルベールのアパートで、二人は幻燈で見た女の顔の彫像に深く見入りました。彫像のあるアドリア海の島まで出向きます。そして間もなく、今度は従兄の紹介でその彫像の微笑みに似た、フランス娘カトリーヌに出逢いゾッコン惹かれ、付き合い始めました。家庭的ではないがその自由で奔放な言動に、特にジュールは心を奪われてしまうんです。 (雨)この映画の前半の映画的描写で印象的なのは。 撮影演出としてカット割が多く、お話を進めるための人物の移動もあって、その主人公達の顔のアップの横移動。被写体を手前からスピードを上げて迎え入れてのカメラ。右へ左へのパン撮影、昔の姿を思い返す時の顔のストップモーションなど。多種多様な撮影方法を駆使してます。 そういった日常の彼らの様子の作為的表現から、ジュールとジムが独・仏の敵味方に分かれて、出兵・参戦した第一次大戦の場面では。 リアルな実写フィルムを使用しての展開と、それまでとはまったく風合いが異なってきます。ただ白黒映画なので実写との違和感はないですね。技巧的・実写的の、その映画的アクセントの効き具合がいいです。 また自然優美なフランス郊外の、またはパリ市街などの、ロケーション撮影を多用した全体の印象は、密な男女関係の物語の窮屈な内容においては、とても開放的な救いになりました。 (星)なんと言ってもこのカトリーヌの奇想天外な行動。例えば三人で観劇しその帰り、彼らの話題に自分が無視されたりすると、川に着の身着のまま飛び込んだりします。それこそ彼女の感情の起伏は、“突然炎のごとく”です。いつ爆発するか、常に“女王様”にかしずく従者の振る舞いを、知らず知らず求められているんです。これは思い入れのない他人から見れば“やっかい”な女性ですよね。 この辺はトリュフォー監督のフェミニズム思考の強い所でしょう。 また基本的には一人の人間に対する恋愛感情を描いた作品ですが。 その個人の感情に浮かびくる欲望を、まるで生活の日常言動の対象を変えるかの如く、複数の異性と関わり合う姿は欧米的恋愛なんでしょうか。 (光)それと「アデルの恋の物語」(75)などでも強烈な印象の〔手紙〕の使い方の効用・影響が、特に映画の後半で活きてきます。 戦争中、生死の狭間にいる中ジュールがカトリーヌに当てた愛の手紙は彼女の心に響きました。 そしてポイントは電話でなくこの手紙のやり取りの時間的なズレ。最初の手紙がどちらかかで始まりますが。ジムとカトリーヌの手紙のやり取りは見ものです。 相手のその手紙の受けての反応は、どちらかというと、お互い感情的に悪い予測を打ち立てて書きます。そしてその自分が書いた手紙の相手の返事を、またずしてさらに続けて書いてしまう内容は、(次の手紙の内容に触れる前に)後で後悔する内容の言葉を投げかけてしまうものでした。なんともうまくいかない、その歯がゆさ。 カトリーヌとジムの関係でそれが起きます。だからここは少し時間をおいて、手紙をじっくり待つ間に、一呼吸入れて考慮・決断して言葉を選べば良いものを。 それが出来ないのが、恋い焦がれた状態同士の人間なんでしょうね。 恋する感情の高ぶりを手紙の言葉に集約し、それを抑え切れない内に次の手紙を書く言葉の中に注ぎ込んでしまうジレンマです。 (風)戦争後ジュールとカトリーヌの間には可愛いい女の子も生まれ、六歳になるのに、彼女の奔放さは突発的に病の発作の如く現れました。 それでジュールは自分だけでは手に終えず、ジムに任せようとします。なんならジムとカトリーヌが一緒になって、幸せになってくれたなとさえ思います。 現在ならこのカトリーヌの心の病は、精神的治療カウンセリング。あるいは平行して医薬による科学的治療で何とかしようと考えるかも知れません。 こういった精神の平衡を失った人の特性として。 特定の気を許した友人や恋人への、 依存・束縛・嫉妬があり。 その報復として自傷を含む過激な破壊行動にでる傾向がある。 そしてこの一連の振る舞いの根底には強烈な自己愛があるとも言われてます。 (雲)ジュールとカトリーヌが途中抱きしめ合い、頬寄せ合いながら涙する場面で、普通はこの夫婦は仲を取り戻したかなと思いますよ。誰だって。でもそれが違うんですから悩みは深刻です。しかもジムはパリで彼らの関係を知った上でも理解するパートナーの女性に出逢い、結婚も決めてます。でも呼び出され、ハッキリ関係を終わらせるつもりで話していても、いつの間にか彼女カトリーヌの感情に引き込まれてしまうんです。 (雨)呼び出され水車小屋でジムが思いのままに成らぬと、激情したカトリーヌは彼に拳銃の銃口を向けます。この時は何とか揉み合い、拳銃を奪いとり一死を抑えましたが。 数ヶ月後ジムは一人で映画を、パリの映画館で鑑賞中、偶然2つ後ろの席にいたジュール・カトリーヌ夫妻と出合い、彼女の運転する車に乗ることに。普段落ち着いた時のカトリーヌはまったく平常で、相対接することができるんですから。まさかあの衝撃的結末に繋がるとは予想だにしませんよね。 (星)劇中ジュールの言葉でこんなのがあります。 『ドイツ語とフランス語の違いは性の違いにある。月・戦争・死は男性名詞。太陽・恋は女性名詞なんだ。人生は中性だ』と。 また異性間の友情は成立しないという見解があります。それは多分性的要求がからむからなんだろうけど。 真の友情が与える愛なのに対し、男女の恋は求める愛が多いからだとも。そうかも知れませんね。 この作品は公開当時、批評家の評価は大変高いもので、「大人は判ってくれない」などに比べて観客の入りも良かったそうです。しかし一般観客の特に女性には男性に比べると、不人気でそれはカトリーヌや二人の男性の評価が、女性からは低かったのかも知れません。今の女性ならどうなんでしょうか。 さてトリュフォーの映画いかがだったでしょうか。また機会があったら他の作品も語りあいたいと思います。 皆さんもこの生誕記念の年にどうぞお楽しみください。 それではありがとうございました。
NY
5.0
23/9/7 話しは軟派なクソ野郎とすべらな女の鼻くそみたいな話だけど、トリュフォーよ!お前奥行きの使い方が上手いな。見ていて感心した素晴らしかったです。 アホの話の癖にコイツの演出がいちいちロマンチックで洒落てるせいで名作! だけど、あれだったなジュールとカトリーヌが初めてセックスするシーンで後ろの金網に虫がちょこちょこと動きまくってて、あっ虫だ!と思ったらキスと同時にカトリーヌの方に行ったのはお笑いだったな。 カトリーヌ虫食ってるもん。そんな勢い!
dreamer
5.0
フランスのヌーベルバーグの旗手・フランソワ・トリュフォー監督の「突然炎のごとく」は、彼の最高傑作だろう。 奔放で炎のように激しい女を、親友同士の二人の男が、同時に愛してしまう。 奇妙な三角関係の中で揺れる男性心理を描いた、アンリ=ピエール・ロシェの小説「ジュールとジム」の映画化だが、トリュフォーは、あたかも古い写真帳をめくるような感じを意識した、ロングショットの映像とリズミカルな語り口で、青年たちと女性の愛の情念、その不可思議さを巧みに表現している。 主演のジャンヌ・モロー演じる、奔放な娘カトリーヌの妖しい魅力をたたえた演技が素晴らしく、この最高傑作に永遠の輝きを与えていると思う。 また、ジュールを演じたオスカー・ウェルナーは、自由奔放なカトリーヌに翻弄されながらも、なお寛大で絶対的な愛情を注ぎ続ける青年を、洗練された知的な演技で好演していると思う。 中心人物の三人の男女の周りを、グルグルと回るような、ラウル・クタールの斬新な映像技法の面白さが、映画の持つ感覚的な楽しさに結びついていて、実に素晴らしい。 トリュフォーは、デリケートなタッチとナレーション語りによる進行というスタイルを、この作品で確立したのだと思う。
ハナ
4.0
道徳とか誠実とかもうどうでもよくて、他者と向かい合うようで向かい合ってない愛と呼ばれる謎が、愛しいようで憎いようで、でも永遠に手放したくない気持ちにさせたりさせなかったり。何か言っているようで何も言っていない構文を私に作らせる映画。過去の自分、現在の自分、なりたい自分が全てある。誰かの人生に驚きと発見を与えるだけの役割にはなりたくない。最後の選択もありあり。共に川に飛び込みたい。ジュールがオー ウェン・ウィルソンに見えた。
swmcyc
2.0
物語は、第1次世界大戦の前後で、大きくトーンを変える。 大戦前はジュールとジムの友情を中心に明るく気楽なトーンで進んでいく。サイレントから移り変わったばかりのトーキー映画の調子。こんな乗りで105分持つのか疑ってしまうような軽さだ。 大戦後は、カトリーヌに振り回される男たちの物語で、典型的なファム・ファタールものになっている。悲劇的な結末を感じさせるムードが漂っていて、前半とは対照的だった。 ただ、私がこれ以上、引っかかりたくなるポイントは見つからなかった。
pumpkin
3.0
ヒロインの女性、たくさんの男をたぶらかす魔性の女であることは間違いないが、なんだが妙に不安定で危なっかしくて、最近の日本語スラングでいうところの「メンヘラ」だった。
あいだほ
4.0
BS 奔放な女に振り回されながらも愛し続ける男たちっていう設定はままあるわけだけど、女優に余程の魅力がないと説得力がない訳で、そういう意味ではこの映画はある程度成功しています。老け顔でありながらチャーミングなジャンヌモローは魅力的です。しかしながらやりたい放題ぶりにどれだけでもつき合えるかというとそこまで一途でいられるわけではなく、この映画は突拍子もない音楽とカットで楽しませてくれる非常にテクニカルな作品だと思います。
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