Ordinary People
Ordinary People
1980 · Drama · United States
2h 4m



Beth, Calvin, and their son Conrad are living in the aftermath of the death of the other son. Conrad is overcome by grief and misplaced guilt to the extent of a suicide attempt. He is in therapy. Beth had always preferred his brother and is having difficulty being supportive to Conrad. Calvin is trapped between the two trying to hold the family together.
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星ゆたか
4.5
2022.6.27 【座談会レビュー】第九回。 俳優ロバート・レッドフォードが初の監督でオスカーを44歳で受賞した作品です。そのアカデミー賞受賞式の5時間前、1981年の3月30日に《レーガン大統領暗殺未遂事件》があり、急きょ受賞式が翌日に延期されたという回の映画でした。今回の出席は星ゆたか、光みちる、雨みつを、雪あかり、雲かすみ・ゆき姉妹です。 どうぞよろしく。 (星)そうでした、その年の1月に就任したばかりのレーガン大統領を襲った犯人は、『タクシードライバー』のジョディ・フォスターの熱狂的ファンの男だったというのも話題でした。 レッドフォードは原作のジュディス・ゲスト(38歳の主婦の初めての小説)に早くから注目し、世俗的な評価が上がる前に映画化権を買ったそうです。脚色賞を受賞したのはアルビン・サージェント。 (光)監督はアメリカの家族社会単位の腐蝕化、誰しも潜在意識の中に抱く家族への不安、失われつつある家族生活の型や儀礼的な部分を描きたかったと述べてます。監督作品で他には、「ミラグロ」(88)「リバー・ランズ・スルー・イット」(92)「モンタナの風に抱かれて」(97)などがあります。 (雨)この頃から個人の殻に閉じこもる若者のことを、「ミーイズム」というレッテルで呼び始めました。 不況とはいえある程度物がゆき渡り、郊外に家を持つ幸福が得られた時代。その豊かさ故に目標を失い、家族の関係性にすきま風が生まれた結果だと言われました。 (雲・姉)弁護士一家の兄弟が湖にヨットで出て、不慮の事故で兄だけ亡くなってしまうんです。それまで幸せそうに見えた家族が、それ以来おかしくなってしまいます。弟コンラッドは責任を感じ精神のバランスを崩し、自殺未遂を起こし四ヶ月の精神病院入り。帰宅し一ヶ月の所から映画は始まります。 (雲・妹)兄を溺愛し誇りにしていた母親は、息子を亡くした上に生き残った弟が、自殺未遂で入院した事実に納得できません。ここで親子でも相性みたいなものがあるということがよく分かります。それは性格の似たものどうしがいいのか、違うのが合うのか色々でしょうけど。 (雪)母親はとにかく日常が表面的に、小綺麗で完璧で過ごせれば満足で、意にそぐわないことからは目を反らし、次男の言動に慈愛の心を持とうとしません。用意した朝食に(悪夢に悩まされ)食欲がないというとすぐさま捨てさってしまうんです。母親を当時TVドラマで人気のメアリー・タイラー・ムーア(オスカー候補)、息子を(若くして死んだ)俳優ジム・ハットンを父に持つティモシー・ハットン20歳の時の助演男優賞。父親役はドナルド・サザーランド。とてもいいですね。 (星)父親は何かとそんな妻と次男の間に入って、心配りをします。妻は内心そんな所も面白くない。精神分析医に通うのを勧めるのも父親。 日本でも今では精神科・心療内科で、鬱治療があることなどで知られてきてますが、この映画の1980年の初めの頃はアメリカでもひっそりと行うことだったらしい。妻は自殺未遂の息子が今度は精神分析医に通うなんて隠しておきたいんです。 (光)分析医の言う言葉。『感情はいつもいい気持ちのものばかりではない。つらい、悲しい、いやな気持ちのこともあるのだ』 中々本音・自身を解放するのを拒む、コンラッドと分析医のやり取り、言葉の応酬はまるでボクシングの掛け合いのようです。分析医を演じたジャド・ハーシュもオスカー候補。 (雨)ドイツの音楽家パッヘルベルの〔カノン〕を高校の聖歌隊で歌い、主人公コンラッドが知り合う娘ジーニンの励ましの言葉がいいです。『あなたとても力強い声ね!』分析医のカウンセリングなみの効果を生みます。事故で打ちのめされていた自分に自信が沸いてくるんです。 『ハレルヤ、ハレルヤ』と嬉しそうに連呼して家まで帰る足取りの元気の良さ・軽さ。 彼女を演じたこの時のエリザベス・マクガヴァンという人は、どこか「小さな恋のメロディ」(71)のトレイシー・ハイドに通じる素朴な親しみ感があるね。 (星)このコンラッドには病院に入院していた時に知り合った友の娘カレンもいて、レストランで話をしたり何度か電話をかけたりします。病院生活は決して悪くなかったという彼に対し、彼女は思いだしたくもないと。しかも彼と同じように別の分析医にも通ったが、何の効果もなく結局自分で心の病は克服するしかないと言っていて、その後彼女は自殺してしまうんです。兄の死の時と同じようにまた自分が、力添え出来なかった後悔と罪意識で、彼はパニックを起こします。 深夜分析医に電話して心療所でその緊急事態の精神状態をぶちまけ、やっと彼は心の底なし沼から抜け出ることができました。 ここは「グット・ウィル・ハンティング」(97)の名シーン。ロビン・ウィリアムズとマット・ディモンの信頼感の深まったあたりの場面に影響しているんじゃないだろうか。『自分を責めるな』 (雲・姉)その誰にも話したことのなかった“底なし沼” “心の穴”への恐怖感を初めて話したジーニンに日曜日の朝会いにゆく初々しさも素敵です。 数日前に彼らがレストランで真面目な話をしている所へ、馬鹿騒ぎする高校の仲間が流れこむんです。 ただその時は、つい照れ隠しに彼女は笑ってしまい、せっかく自殺した時の思いを打ち明けているのに。 気まずい帰りの車中の『ごめんなさい』 その辺のデリケートの言動の揺れをその後あった時に再び詫びるセンスも実に細やか。 (雪)コロナ禍でやや遠慮気味な欧米の人達の愛情表現、挨拶の美しい抱擁・ハグが見られました。 精神分析医と“良き友”の信頼関係を結べたと青年コンラッドの感動的ハグ。 やっと母親を分析治療の結果、素直な気持ちで抱きかかえられたハグ。しかし母親は突然の息子の変化で微妙な反応。 そしてその妻との関係に自信がなくなったと話す夫。 その妻は明け方一人家を出てゆく。すると彼ら親を心配した息子が、寒い外気で白い息を吐きながら玄関先に。残雪のある寒い外で座りながらの父と息子のこれまた感涙のハグ。 (星)この映画の公開された1981年(昭和56年)はローマ法王ヨハネ=パウロ二世やマザーテレサの来日があり、豊かになり過ぎて思いやりを忘れてしまった日本人にはショックだったとも。理想の男性像に“やさしさ”を上げ始めた頃とも言われました。 この作品以外で高い評価だったのは「ブリキの太鼓」「秋のソナタ」「エレファントマン」「ブルース・ブラザース」 邦画では「泥の河」「遠雷」「駅 STATION」などなどです。 それでは今回も暑い🔥☀️なか? 最後までお付き合い ありがとうございました。
ぽんのすけ
4.0
自分本位で思いやりも慈しみも無い母親に終始腹が立つ。心の傷を乗り越えて感情表現を取り戻した息子がようやく素直に甘えてきても、この母親は抱きしめ返すことも出来ない。なんというクソ女だ。でも全て身に覚えがある。ああ、これは私なんだ、私はこんなクソ女なのだ。リアル過ぎて心に突き刺さる。身を切られる思いで見た。
dreamer
5.0
日常生活における"普通"の中の"異常"を醒めた視線で静かに見つめた、ロバート・レッドフォード監督の秀作「普通の人々」 この映画「普通の人々」は、ハリウッドを代表する世紀の二枚目スター、ロバート・レッドフォードの記念すべき第一作目の監督作品で、シナリオを「ジュリア」「ペーパー・ムーン」の才人、アルヴィン・サージェントが書いている映画史に残る秀作です。 原作は、1976年に刊行された同名のベストセラー小説で、著者のジュディス・ゲストはミネソタ州で、会社重役の夫と三人の息子と生活する普通の主婦で、38歳でこの小説を初めて書いたのですが、日本で出版された邦訳「アメリカのありふれた朝」のあとがきで、ジュディス・ゲストは、「ここに登場する人たちは、ごく普通の人々です。 『普通の』とは人並みで、正常で、調和のとれたという意味です。ただ、その身辺に異常な出来事が起こる----それも毎日どこかの、だれかに起こり得るような出来事が起こる、ということなのです」と書いています。 その出来事とは、ヨットの事故で長男を失い、生き残った次男(ティモシー・ハットン)が自責の念から自殺を図ったという事を指していて、このような出来事に対して、弁護士の父親(ドナルド・サザーランド)や母親(メアリー・タイラー・ムーア)が、"この出来事に対して、どう対処し、また処理していくのかを見る事"が、この原作者がこの小説で言いたかった、重要なテーマなのだと思います。 今まで、"普通"であった生活が、次第に"異常"となり、結婚してから21年、今まで愛し合っていると思ってきた理想的ともいえる夫婦の形が、もろくも、この出来事をきっかけに破綻していく、その心理的なプロセスを、原作の意図を汲んで、日常的な生活の中で淡々とこの映画は綴っていきます。 亡くなった長男を愛おしむあまり、母親は無意識のうちに、生き残った次男を憎んでいるかのようで、この事が次男の青年の心に重くのしかかって来ます。 青年は精神分析医(ジャド・ハーシュ)の助けを借りて、ようやく自己を取り戻し、母親への愛を素直に表現しようとするのですが、母親はどうしても素直に、この子を受け止めてやれません。 ここで感じたのは、アメリカ社会での、精神分析医の存在が人間生活に重要な役割を果たしている事で、心を支えるべき宗教を見失ってしまった現代アメリカの苦悩が透かし絵のように見えてきます。 そして、このあたりの描写について、レッドフォード監督はあのジェームズ・ディーン主演の名作「エデンの東」(エリア・カザン監督)での、父親と母親を逆にした設定で、オマージュを込めて繊細に描いていると思います。 心が塞いで食事がまともに出来ない青年。 青年が手をつけないパンケーキを、母親は流しへほうり捨てます。 母親の癒す事の出来ない、心の闇の深さを垣間見せる、何気ないこの描写でさらりと描く、レッドフォード監督のうまさを感じます。 このような、小さな小さな日常の生活の描写から、砂漠のように心の潤いを見失っている現代人の心の不毛を見事に掴んで、この映画は見せてくれます。 人間社会の最小単位であるはずの、"家庭"の崩壊、現代の底知れぬ不安感を、その原点で見つめようとする真摯な姿勢。 声高に叫ぶのでもなく、あくまで、静かに、静かに見つめるレッドフォード監督の演出は実に見事だと思います。 優しさを求める息子を、受け止めてやれない妻を夫は許せません。 深夜、ダイニング・ルームで一人泣く夫の姿には、何か鬼気迫るものを感じます。 モダンでクリーンですが、そのくせ温かみのかけらもないダイニング・ルームでのこの描写は、夫の心象風景を実に鮮やかに描いていて、レッドフォード監督、なかなかやるなあと感心させられました。 やがて妻は、一人家を出てしまいます。 残された夫と息子との、朝の風景は静かに、そして美しく、だからこそ、どうしようもない孤独な想いがこみ上げてきます。 「普通の人々」の姿として、これを描くところに、現代アメリカ人の不安と絶望を垣間見る思いがします。 アメリカの中西部、シカゴ郊外のレイク・フォレストに住む中流階級(アッパー・ミドル)の、ありふれた「普通の人々」の生活を、真正面から生真面目に描いたこの映画は、ロバート・レッドフォード監督の深い感受性と繊細で厳しい眼差しに基づいていて、この映画を通じて彼は、アメリカ社会を支えてきたWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)を侵食している社会の根深い病根を診断しようとしているかのようです。 レッドフォード監督は、何故この作品を最初の監督作に選んだのかについて、「アメリカでは、家族という社会単位は腐蝕しつつあり、誰しもが、その潜在意識の中で家族に不安を抱いていると思う。 家族生活の型や儀式的な部分は失われてしまった」----中流社会における家族生活の型や儀式的な部分とは、この映画の中の母親に見られる、世間体を気にする生き方だと思います。 レッドフォード監督は、「自分が大人になり旅を多くするにつれ、人々が、自分が本当は何者なのかという事より、見せかけの方をもっと気にしていると気づいた」とも語っていて、"普通の人々"の"普通の生活"における、"見せかけ"の生き方よりも、自分の感情を直視した、正直な生き方を選ぶレッドフォード監督にとって、この映画は、家族の中で感情がどのように扱われているのか、あるいは見逃されているのかという点が重要なのではないかと思います。 レッドフォード自身、彼の父親は会社の重役で裕福に育ったものの、母親を早くに失くし、少年時代から愛情というものに飢えて育ち、孤独で淋しがり屋でした。 そのようなレッドフォードだけに、ジュディス・ゲストという主婦の書いたこの原作を興味深く読み、その底知れぬ、家庭内での孤独感というものに、身震いするほどの切ない思いを味わったのかも知れません。 彼は、「僕は若い時から家庭の愛情の問題で深刻に悩んでいた。 父も母も良い人たちだったが違和感もあった。 僕は自分の言う事が人に通じないのを何よりも恐れていた」とも語っていて、そのような意味から、やはりレッドフォードは、この映画を通して、彼自身の事を語っていたのかも知れません。 "親は子供の感情に素直に反応すべきであり、子供の言う事に真剣に耳を傾けるべきではないのか"----というレッドフォード監督が、この映画に託した痛切なメッセージが、映画の背後から聞こえてくるような気がします。 尚、この映画は1980年度の第53回アカデミー賞の最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀助演男優賞(ティモシー・ハットン)、最優秀脚色賞を、同年のゴールデン・グローブ賞の最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀主演女優賞(ドラマ部門)、最優秀助演男優賞を、また、同年のニューヨーク映画批評家協会の最優秀作品賞を、LA映画批評家協会の最優秀助演男優賞をそれぞれ受賞しています。
実々子
4.0
愛する長男を失った家族の物語。失った対象が同じだからといって、同じ経験をした家族だからといって、その喪失感や悲しみの深さが皆同じだとは限らないのだと思い知らされる作品。父と息子が抱き合うラストに、少しだけ希望の光が見えた気がした。良作かな。
アオイ
4.0
良い人間関係は、いくつもの要素がうまい具合に作用した偶然の結果にすぎないんだろう。長男の死は誰かを本質的に変えたわけではない。一つが変わったから、今まで無視してこられたことが問題になった。だから、生じた変化は、「ただこうなっただけ」。昔の自分だったら、残された者たちが元の関係に戻れるかを気にしていたと思うけど、今はそれはどうでも良いことに思える。大事なのは、新しい環境にどう心地よくフィットできるか、かな。
松井
4.0
終わらないPTSDの恐ろしさ
emma
4.5
自分の感情が何か、何が自分自身を阻んでいたのか、その物自体を知ることの大切さを学んだ。みなそれから逃げて、人に当たり、自分を責め、本質を見失ってるのではないだろうか。 その事に気づかせるあの医者はすごい。いかに自分を話すことが大切か、感情をぶつけ、自分自身に気づかせることが大切かを知った。 そしてそれを一人ひとりが最終的に実行できたこと、偽ることなく正面でぶつかり、自分の道を選んだことができたのはすごかった。それ自体が簡単でないからこそ。 自分自身の本当の気持ちから逃げたり、その場限りの人の機嫌をとったり、偽りながら生きていくことは、衝突が起こるのが嫌いであれば簡単に思え、楽なのかもしれない。 だけどそれが何よりも自分を苦しめ、自分と相手との壁となり、物事の視野を狭め、追い込むことになる。 それに早く気づけるかどうかが、自分に負けずに自分らしく生きていくことの鍵となるのでは無いだろうか。 題名が“Ordinary people”普通の人々 ごく普通な幸せそうな家族に見せてみなそれぞれ問題を抱えている あえて「普通な人々はいない」という皮肉に満ち溢れた題なのではないかと個人的に思った。
いやよセブン
5.0
ロバート・レッドフォード初監督作品でアカデミー賞作品賞受賞。 カルビン(ドナルド・サザーランド)とベス(メアリー・タイラー・ムーア)夫妻と息子のコンラッド(ティモシー・ハットン)の三人家族のドラマ。 コンラッドには兄がいたが、ヨット事故で亡くなっており、責任を感じたコンラッドは自殺未遂を起こしていた。 ベスは兄のほうを愛していたので、コンラッドは預けてカルビンと二人で過ごすことを望んだ。 カルビンは妻と息子の仲を取り持つのが父親の責任と考え、自分を押し殺し、ただただ優しくあろうとした。 コンラッドはそんな父親をわかっていて、父親に心配をかけないようにと考えていた。 家族で起きることを、ハリウッド流のチームワークで乗り越える話にせず、普通によくある話でまとめており、語り口は見事だ。
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