
星ゆたか

晩春
平均 3.6
2022.2 1949年(昭和24年)小津安二郎監督46歳、初めて物語のヒロインに起用した、原節子さん29歳の時の作品。 まだ敗戦後の混乱期ではないか。復興の走りの中この映画は、戦前の日本人の日常生活の中における趣味の良い習慣や立振る舞いを、人々が、心に取り戻したいという気持ち。それを結晶化した作品になったのではないだろうか。 北鎌倉・ 円覚寺での茶会、能楽堂での演能、鶴ケ岡八幡宮。京都・清水寺、竜安寺の石庭。などの観光や文化を愛でる経済的・精神的 “ゆとり”。 男手一つで育ててきた娘の結婚に気をもむ父。その中での微妙な心の揺れを描く物語。(戦争とか平和とか、民主主義とか男女同権とかのテーマでなく) そのような映画に、日本人の文化的誇りの復活を感じ、ホッとさせられたのであろう。 小津監督は、原さんに対しての、それまで一部で演技が生硬と言われる世評に対し、『その俳優にないものを求めるのでなく、本来ある良きものを引き出せばいい。彼女の人物の捉え方の感の良さ、演出意図への素直な反応などに、大変感心した。』と語っている。 原節子。本名・会田昌江。戦前からのスターであったが、この年、「青い山脈」・今井正監督、「お嬢さん乾杯」・木下恵介監督などの作品で、毎日映画コンクール主演女優賞を 獲得した。彼女の存在は、敗戦後の打ちのめされた日本人の心を、その気高さ、優しさ、品の良さによって、励まし助けた、希望の星であったという。 その後数々の日本映画の名作に出演する。1962年に42歳でスクリーンから姿を消し、以降亡くなる(2015年・95歳)まで一再人々の前に、姿を見せなかった。1963年に小津監督も60歳で亡くなり、お二人とも生涯独身であった。映画の世界に入ったのが、義兄で映画監督の熊谷久虎氏の助言で、彼女が亡くなるまで住んでいた家は、その義兄の敷地内に健てられた。一説にはその信頼している義兄に反対されたのが、小津監督との結婚であっとも言われた。