
星ゆたか

リトル・ジョー
平均 2.9
2022.9.1 シングルマザーのアリスは一人息子ジョーと暮らしながら、バイオ企業で新種の植物開発に取り組んでいる。 主演のエミリー・ビーチャムがカンヌ映画祭で女優賞をとの情報で鑑賞。 植物が人々に不気味な恐怖を、ジワジワともたらすスリラーでした。 新種の植物開発は近来、適応力や耐性が重視される。旅行に出て放っておいても大丈夫な植物。そこでは“香り”は二の次なので。 《ハッピーにしてくれる香り》の研究に乗りだす。その香りは母親ホルモンと呼ばれる“オキシントン”の分泌を誘発する。定期的な水やりと温度調節(かなり高温)が必要で、愛情をこめ、それこそ人と同じ触れられ話かけられるのが好きな植物なのだ。さらに気分を高めウツを防ぐ“幸せの植物”として売りこめばかなりの需要が見込めると。 ただ香りのいい幸せな気分にしてくれる植物なら、香水のもとにされる〔バラ〕を筆頭に数々の花が既に実在している。家の外で道ゆく人々を楽しませ、家の中では鉢や切り花にして生活を和ませてくれる。それにこの映画に紹介されたその花の“見栄え”は、残念ながらどう見ても数あるライバルを蹴散らすほどの魅力はナイ! この紅い花は“リトル・ジヨー”と名付けられ、その登場場面に必ずテーマ音楽のように流されるのが、日本の雅楽のような笛と尺八と太鼓、時には琴の音すら聞こえる。母親が料理が苦手で映画の始めに勤め帰りに買ってきたのは、【活】と名乗った紙袋の日本食の“伝六寿司”弁当。息子もお馴染みなのか上手に箸を持っていなり寿司などを食べ始めた。この日本通は何か意味合いがあるのだろうか? “リトル・ジヨー”はその植物自体が、種子を生じない〔不稔性〕の特性を持つ。それは不稔性の雄株の反応かと思われるが正確には分からない。研究者の中には子孫を残せないのは不自然、生殖こそ生物の存在意義との意見もある。 その試作のため新しいウイルスベクターのRウイルスを開発に使用した。まだ法律上認知されてない違法の取り扱いだ。展覧会出品にどうしても急いだ判断だった。そのため不稔性のリトルジヨーは、生き延びるための術として、自分たちを守ってくれるように人々を感染させ、一人ひとりの人格を変えていく。花粉は鼻を通って嗅覚受容体に到達。嗅覚情報は大脳辺緑系へ伝達。そこは感情を司る部分。行動やパーソナリテイを左右する。オキシトシンが影響を及ぼす部分でもあった。 しかしこの植物のもたらす魔力。 香りの影響力は、はた目では感染者もさほど変化もなく、環境に馴染みながらの“侵食”で、しかも温度調節管理が必修なので、よく外来種の雑草が、在来種の植物の成長を妨げるような形態で進むのと同じで、その辺が映画的には、強いスピードのある衝撃性の内容にならなかった。 母親は仕事優先で年頃の息子に対する子育てのネグレクト(精神病質)の罪悪感ありの診断、“仕事中毒”とするカウンセラーの話もある。この年配の少し見た目派手な女医さんや、新種開発の研究所で始めに所員の異変に気づき、警告を発するベテランの女性などは、いかにもドイツ人風合いの造詣を感じさせる。 そして人格異変される前のその息子は、花粉症で自然派の暮らしの別れた父親との定期的の面談も億劫がった。 しかし花粉の影響で人が変わってからは、母親との生活より父親との暮らしを選び家を出ていく。少年から青年期への成長の移行ともとれる。 その父親との生活で、もしかしたら自己免疫力でもかで、前の人格を成長しつつ取り戻すことになるのだろうか? 母親も最後は同じく感染し、一人の生活に。それまでの“不安”(親の子離れ)も払拭されて、〔種の拡大〕の仕事に就労してゆく。 かつて「ボデイ・スナッチャー」(56年と78年)という宇宙異性植物の侵略を描いた作品があった。あの物語での人格異変はまるで別人になったとの印象を、その前後で示した。 しかしこの作品での変化は少し違う。 話かけてもどこか上の空。昔とはどこか違う程度。けれど同じ認識でそれまでどうりに振る舞っていても、その相手の変化に応じるためには、やはり同じようにお互い感染されるしかない。 『まるで自分が誰かになって劇や映画の中にいるような気がする。』という。ただそんな自分をどこか(幽体離脱して)、俯瞰して見ている気分だとも。 どこか冷静な所も残しつつと言う。 これってもしかしたら映画を見ている感覚にも通じるかもね。だとしたらそんな人は、既に映画という魔力に感染しているのかもヨッ‥‥OH MY GOD!。