
星ゆたか

由宇子の天秤
平均 3.8
2022.10.14 由宇子はテレビのドキュメンタリーディレクターだ。 自身の企画で三年前の女子高生いじめ自殺事件を追っている。 自殺の原因である教師との恋愛関係を、学校の対応・マスコミ報道に加え、通信情報の陰湿な拡散に耐えられなかったあたりを念入りに。 被害者の関係者への取材で探っていこうとする意図のもと進められた。 この事件では女子高生の自殺の後、間もなく、“世間の正義の寸断”に押し潰され教師も自殺への道を。 今日のインターネット・スマートフォンの浸透は、〔公〕と《私》の境界線をいとも簡単に踏み・飛びこえて、特に 《個の不満》を正義のナタにすり替えて断裁する力は、凄まじいものがあるらしい。“悪い一刀両断!” その連鎖。 監督春本雄二郎さんの演出と、それに応えた俳優さんの演技が素晴らしい。 冒頭で女子高生の父親を、自殺した河原で娘のリコーダーを吹く姿で。 また営むパン店での取材。父親役は梅田誠弘さん。由宇子さんの話から教師側の立場も理解し、ここで教師の好きだった三色パンを、その母親に差し上げる描写は好き。 またそれを由宇子さんと教師の母親が後に一緒に食べる場面もいい。 この由宇子さんの率先して相手の食べ物をまず『食べていいですか』と言って食べる。この言動は相手と一心同体になる意味で注目点。 さらにこの教師の母親と妹とは、後にも度々自宅を訪ね、それぞれ取材時に双方の信頼関係を築きながら、心の奥の声を聞き出していく。妹の母娘と家族のようにトランプする場面はこちらも嬉しい。ここでも由宇子さんはこの母子と一緒にオムライスを、実に美味しそうに食べる。 この教師側の親族は世間のヤッカミから逃れるために、何回も引っ越しを重ね、まさに息をひそめ隠れるようにして暮らしていた。世の中を騒がせている、“事件”の当事者の現実を想う。 この母親役を丘みつ子さん。妹役は和田光沙さん。 この辺は俳優の見た目の個性に合わせ 丁寧なじっくりした描写。 そしてこの由宇子の所属するテレビ局の、彼女と上層部の方針との違いを表す、例えば会議室の場面では。 テーブルの上の資料を眺める上司が、イスに前に滑り落ちるような座り方で見せる。明らかに物事に番組製作に真摯な態度を持ってない絵柄。横柄なポーズ。 そんな上司が部屋を出ていき、用意された彼女の弁当に、由宇子自身ツバを吐き、出てゆく。この女性の反骨精神を表す演出。 さらにこの後、父親の経営する進学塾の生徒が妊娠。相手は講師でもある父だったという衝撃的展開からなる所では。 娘は父親が塾を辞めたり、全て真実を話そうとするのは、自分が楽になりたいだけだと。それは塾の生徒・父兄あるいは私のやっている仕事まで影響・否定することになると説得。慎重に物事を進めるべきだと。世間の反応は、おそらく自殺に追いやった女子高生と教師の事件と同じように、批判爆発するのは目に見えていると。 娘に悟らされる父親役は、ベテラン光石研さん。それでも娘がずっと塾を手伝ってきたということは、それなりにこんな父親でも愛し認めてきた証拠。 またこれだけの性格・言動を由宇子がかもし出せる要因は、これまでの父親との暮らしの中にあるのだろうし。けして父親だけを責めて済む問題ではない。 そして妊娠して不安な心身の生徒を安心させるかのように、親身になって接する由宇子と、受けるこの塾生徒の態度も実に細やかに。 一例として由宇子が母親(この生徒は母親がいない)や姉のように愛情表現として頭を撫でようとして、しかしそれを中々受け入れない女子生徒。 それにだらしない、時に威圧的なだけな父親かと思ったら、それなりに由宇子さんの優しさに心動かされ、生きようとするこの父親もまんざら棄てたもんじゃない。ここでもこの父親が買ってきた食べ物を三人で口にする。 だからこの娘も後にだんだん心が、由宇子さんと通じ、体をしなだれ寄せ、手を繋ぐようにまでなる。まるで姉や母に甘えるように。 由宇子を演じた瀧内公美さん、女子生徒を演じたのは新人・河合優実さん、どちらも好演。 物語全体として、先行き不安と悲劇要素の強い作品で見ていて辛い映画で、時に鑑賞の足踏みをしたり……。 でもそんななか、ヒロインの由宇子の強くて優しい言動が救いになっています。 また由宇子の『最後に殺されたのか?』の場面。 娘さんを妊娠させたのは私の父。 と告白しその娘の父親の怒りをかう。 その場面を演じた瀧内さんは。その父親に首を絞められ、寝転がった。 その時、見上げた青空の美しさに、涙が止まらなかったと話してました。まさに役と自分がリンクした瞬間だったそうです。 映画では遠くからのロングショットで、私達にはわからない裏話。 人間を人生を取材する仕事の時生じる、 仕方ない「狩猟性」と「収穫性」は。よほどの注意が必要だと、由宇子は劇中語る。 『誰の味方にもなれない。ただ光を当てることは出来る』 他人の人生に分け入ることは、常に生身の人間に触れている“畏怖の念”を忘れてはならないということをこの作品は教えた。 《天秤》とは中央にある〔てこ〕で(善)と(悪)を比較するということ。またはこの映画での正義の裁定。 そしてまたその〔てこ〕とは弱い力で重たいものを動かしたり、微妙な運動を大規模な運動に交換する物理。 大きな目的を達成するための比較的小さくても強力な手段という存在。 つまり由宇子さん達の、真実の記録報道を編集し映画にするということは。 この“てこ”での小さな力・動き・仕事を蓄積することによって。 大きな力・動き・社会に良い影響・拡散する仕組みに変えることでもないか。 題名に込められた意味をそう理解した。