レビュー
星ゆたか

星ゆたか

2 years ago

3.5


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ニューオーダー

映画 ・ 2020

平均 3.1

2024.1.25 メキシコ人監督ミシェル・フランコ (79年出生)の映画は「或る終焉」(15)に続き二本目。貧富の格差に暴動をお越し、その日頃不満が鬱積している者達が。 破壊略奪し殺戮する光景(例えば米国のBLM黒人運動)はニュース映像で見た事はあるが。 ことメキシコ社会の貧しい先住民と富裕層の白人の格差の実態には。 まるで疎いので、このデイストピア(極限状態)スリラーと言われる映画は。 あの「ミッドサマー」(19:アリ・アスター監督)の異文化畏怖〔アメリカ人がスウェーデン人〕への衝撃恐怖感みたいな感触を受けた。 この監督が、このような人種間に根強く存在する階級意識と収入格差からくる憤懣をいつ頃から。 映画のテーマにし、驚ろくべき非情で刺激的、直線的破壊力で見せるようになったのか? すでにその予兆は過去の作品にもあったらしいが。 その辺はメキシコ社会での、精神養成年齢の過程にあったのかも知れない。 ここで描かれる物語は架空の話で、メキシコであった事ではないかも知れないが。 しかし世界の歴史だけでなく。 現在のロシア.ウクライナ攻勢やイスラエル.パレスチナ抗争の実態からも。 まるで絵空事でない事は明らかで。 この絶望的惨劇を直視する体験は、 その惨劇を避けるための意識改革として無駄ではないかも知れない。 映画は90分に満たない作品で。 その前半は富裕層のヒロインが結婚を、多くのやはり白人の富裕層の人達に祝福されているパーティの邸宅の様子で、どの辺から核心の本筋に入るのかと、半ば身構えるような気分で見ていると。 それは、かつて7.8年前の使用人が身内の心臓手術の高額な金を借りに来る事辺りから。 あるいは花嫁の母親が水道の蛇口から。 一瞬緑色の水が流れる不遜な現象に邸宅内を夫に知らせたり。 またはその金借りに持ち合わせの金を渡す為に動き回る。 映像の一連の動き、カット割繋ぎで見せていく辺りだ。 そしてあの外壁を乗り越えてやってきた不遜な暴徒によって。 ついにガラリと、平穏の幸せな日常から恐れるべき地獄絵に変わっていく。 そして更に花嫁がかつての使用人の頼みに応えようと。 2~30分で戻るつもりで。 軍の交通規制のある地域に自ら、“温情心”から乗り出す事で。 思いもしなかった恐怖の極限状態の世界に押し込まれる事になっていく。 もし彼女が家に残っていたら? どうなったのかというのも鑑賞の別の手引きの想像展開であるが。 また使用人が暴徒の侵入に合わせて、それまで従順であったのに。 手のひらを返すように。 邸宅の物品を手当たり次第に持ち逃げする展開も驚かされるし。 また警備にあたっていた者も拳銃を家主に向けて発砲するのも。 よっぽどこれはそれまでの雇用対応に満足してない表れなんだろうか。 つまりこのような反逆は契機があれば、いつ起こるかも知れないという事か。 しかし国の軍隊がその暴徒への武力鎮圧と戒厳令の実行の果てに。 富裕層に従っているかのように見せかけて、実はという所は何ともやりきれない。 法と秩序の崩壊した国の社会の、 “待ち受けた日常”がこのような実態だったとしたら。 何と悲しく絶望的な事ではないか。 しかしなおも、それでも生きていかなければならないとしたら。 やはりこれは幼年期から青年期へかけての思想教育、人道を重んじる社会環境(家庭で学校で職場で)創造しかないのではないか。 そこまで、さかのぼる必要がある。 どのような極限状態になっても。 人を心のない物として考える事《唯物論思想》(それが破壊.略奪.蹂躙に繋がる)のないように。 この事は、これまで模範的行動の日本人であった事が評価されてきたが。 この日本での正月あけの震災で。 その唯物論から、助け合う心を無くすと。 災害事に金儲けしようなどとする、自分だけいい思いをしようとする “クセモノ”が出現する事が起きるのだ。 やはり物事の根本は人の心もち。 日頃からどう考え、言動しているかに尽きる。 その意味で映画をより深く、考え見る事は大切。 時に見るのが苦痛な作品であってもだ。 今年もそういう一年でありたい。