ダウト~あるカトリック学校で~
Doubt
2008 · ドラマ/ミステリー · アメリカ
104分
© 2006 Miramax, LLC.



1964年、ニューヨーク・ブロンクスにあるカトリック学校セント・ニコラス・スクールの厳格な校長シスター・アロイシス(メリル・ストリープ)は、旧来の道徳観と篤い信仰心を持っている。一方、司祭を務めるフリン神父(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、現代的な開かれた教会を目指すべきだという持論を展開していた。アロイシスは新人教師シスター・ジェイムズ(エイミー・アダムス)に、物事は疑惑の目で見なければならないと指導する。ジェイムズは、フリンが学校で唯一の黒人生徒ドナルド・ミラーに特別な関心を寄せているとアロイシスに報告する。礼拝の侍者役に選ばれ、司祭館に連れて行かれたドナルドが、酒臭い息で戻ってきたのを目撃したのだ。アロイシスはフリンを校長室に呼び、真相を追求する。フリンは、祭壇用のワインを盗み飲んだ生徒を守っただけだと反論する。ジェイムズはフリンの言葉を信じるが、アロイシスは疑惑を持ち続ける。
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キャスト/スタッフ
レビュー
20+挿入曲情報

Main Title

Blame It On The Bossa Nova

The Locker

Confrontation

Doubts

Come, Thou Redeemer of the Earth
about movie
3.5
この映画、かなりすごいのでは? 聖職者の性犯罪を暴く話?と思ったが、正義感を突き詰めた先にあるものは...という内容。 結局神父は8割方クロだったろうが、明示はされず。現実も同じで、自分が悪役と思う者に100%はない。自分の正義感にはめているから。 校長は根拠のない自信で神父を追い詰めるが、それは不確定な正義の行いであり、後悔からくる涙を流す。ドナルド達も味方を失ってしまう。少なくとも神父は適所では善人だった。 一方シスターは相手を信じようとする。その方が楽だから。かといって生徒を厳しく疑おうとするのだが、心ぐるしさに耐えられなくなる。 疑うことのなんと難しいことだろう。
Tomo_gabethedoggo
3.0
お母さんの鼻汁すごい気になりました 。・゜・(ノД`)・゜・。
Schindler's Memo
4.0
元は舞台劇だという。だからだとは思うが、二人、三人の演技合戦がスゴイ。 従って、見所はそれらの会話劇・・・これに尽きる。しかもテーマは「疑い」で一貫している。だから濃い。 まず、校長、若い教師、神父の三人芝居。非常にスリリングで電話などの小道具の使い方も恐ろしい。 そして校長、件の生徒の母親との二人芝居。歩きながらの淡々とした会話だが、収束しないもどかしさと母親の感情の噴出が悲しい。 さらに、この映画のハイライトである、校長と神父の会話バトル。もはや「戦闘」といってよいが、激情の交叉があまりにも熱く、目を伏せたくなるくらいだ。 ラストの校長と若い教師との会話は、校長のモノローグに終始するが、ここに来て、改めてメリル・ストリープの圧倒的な演技力というか、凄さに脱帽してしまう。
うにゃ
3.5
ネタバレがあります!!
カウチポテキャット
4.0
誰の中にも正しさも誤りもあって、自分が信じるものを追求するしかないわけだが……絶対の正解なんて存在しないのだと思い知らされる。超一流の役者ぞろい。演技合戦に引き込まれる作品だった。
dreamer
3.0
この映画「ダウト あるカトリック学校で」を観終えて、まず思ったのは、このドラマを舞台劇で観たら、さぞ面白かっただろうなという事です。 元々この作品は、ブロードウェイの舞台でトニー賞を受賞した大ヒット舞台劇の映画化作品で、1964年のニューヨークのカソリック・スクールが舞台となっています。 苛烈な規律を強いる校長(メリル・ストリープ)の下に着任したのが、規律よりも生徒の自主性を重んじる神父(フィリップ・シーモア・ホフマン)。 その神父が、アフリカ系の生徒に性的ないたずらを加えているのではないかと、校長が疑いを抱きます。 神父は、本当にやったのか? -----。 脚本は、その答えを巧みに避けていると思う。 更に、校長と神父の対立には、厳格と寛容、禁欲と享楽、伝統と革新、そして逸脱への不信と統合への過信など、様々な"二律背反的な対立"が潜んでおり、このドラマに深い奥行きを与えていると思う。 この事からも、このドラマは、実によく練られた、いい舞台劇だという事がよくわかります。 だが、映画としては、かなり疑問が残ります。 まず、舞台を広げすぎていると思う。 演劇と違って映画では、空間が制約されないけれど、舞台の拡大は緊張の拡散も生むわけで、間が抜けてしまうような気がします。 そして、カメラも動きすぎるので、かえって空間の意味を捉え損ねていると思う。 例えば、校長の部屋に入ってきた神父が、当たり前のように校長の椅子に座ってしまう。 学校の責任者は校長でも、教会の位階では神父の方が上位になるわけで、下座にされた校長の"ルサンチマン"を伝えるいい場面なのですが、この「校長の椅子」の意味が、ほとんど伝わってきません。 これが舞台なら、"特権的な場所"という意味を、もっと明確にできただろうと思います。 校長を演じるメリル・ストリープもかなり頑張っているとは思いますが、もっと距離をとって見た方が生きる演技だと思う。 クローズアップにされると、まるでホラー映画のようで、笑いを誘ってしまうのです。 そして、何よりも言葉に頼り過ぎていると思います。 映画という表現媒体では、締めのひと言の重みを出すのは難しいものです。 神父の悲劇だったはずのドラマが、最後のセリフによって校長の悲劇に逆転するはずなのに、それが決まらない。 映像が言葉に先行するという、映画と演劇の違いを改めて思い知らされました。
いやよセブン
3.5
証拠もないのに疑惑が確信に、そして排除と進む校長がいる。 疑惑は濡れ衣だが、過去を暴かれれば一つや二つは秘密にしておきたいことがある神父がいる。 そして、校長と神父の言うことをその場で信じてしまい、自分の信念のない若き女性教師がいる。 この3人、メリル・ストリープ、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムスの対決は見ごたえがあるが、ドラマとしてのふくらみが不足気味。 今の時代、特にネット上では確信に満ちた書き込みが多いが、人間である以上、この映画同様、100%の自信なんて持てないのが普通だと思う。
Juno0622
3.0
教会の文化に馴染みがないものにとってはやや入りにくい内容だった。
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