
dreamer

잠수종과 나비
평균 3.3
主人公が治癒の困難な病に冒されたという設定の、いわゆる"難病もの"と言われる映画のジャンルがあります。 「レインマン」や「レナードの朝」などがそうだ。 このジャンルの映画は、感動の名作が多く、俳優の立場から言えば、まさしく演技の見せどころになるのだが、映画としては、どうも安易なものがつきまとう感じがします。 特別に工夫をしなくても、観る者が"難病の患者"に感情移入をしてくれるからだ。 このジュリアン・シュナーベル監督の「潜水服は蝶の夢を見る」も、そのような難病ものの作品です。 「ELLE」の編集長だった主人公が病に倒れ、身体が麻痺してしまう。 手足はもちろんのこと、口も何も動かせず、出来るのは左目蓋の瞬きだけ。意識が肉体に閉じ込められたような極限的な状況だが、主人公は瞬きの回数によってアルファベットを伝え、一文字一文字を相手に記録してもらい、最後には一冊の本を書き上げる。 これだけでも、すでに感動ものだ。だが、この作品の真髄は、"独特の映画表現"にあると思うのです。この映画の冒頭、観る者は、病床に横たわる主人公の目に見えるものしか見せてもらえない。 頭も首も動かないのだから、当然、視野はごく限られていて狭い。 つまり、観る者を主人公の身体に閉じ込めてしまうのだ。 これは、映画とそれを観る者の関係を利用した巧みな表現だと思う。 もとより、観る者はスクリーンという画面を観るだけで、中には入れない。 普通の映画なら舞台が変わり、カメラが動くので苦痛は少ないが、この作品では、映画の視界を極端に絞り、観る者の本質的な無力さを利用することで、主人公の無力を伝えているのだと思う。 見るだけだった主人公が、意志を回復すると、それにつれて観る者も世界が広がったような開放感を与えられる。 主人公は、自己憐憫から脱却し、自分に残された想像力と記憶を頼りに、行きてゆく覚悟を固めるのです。 映画が始まってから30分以上経ったその時、ようやく観る者は、主人公の全身を見ることになります。 "主人公の自我の回復と観る者の視野の拡大"が、重ね合わされているのです。ジュリアン・シュナーベル監督のなんとも鮮やかな企みが、見事に成功していると思います。