코멘트
dreamer

dreamer

4 years ago

3.5


content

토요일 밤의 열기

영화 ・ 1977

평균 3.2

"ニューヨークの下町にあるディスコでの、週に一日だけの熱狂という、しがない若者たちの小社会を描いた 「サタデー・ナイト・フィーバー」" この映画「サタデー・ナイト・フィーバー」は、原作がニック・コーンのルポルタージュ小説「新しい土曜の夜の部族儀式」で、ニューヨークのブルックリンの塗装店で働くイタリア系の19歳の若者、トニー・マネロ(ジョン・トラボルタ)のただ一つの生き甲斐は、土曜の夜、ディスコでの音楽とダンスでした。 一人では寂しい、同じような仲間が集まり、徒党を組み顔を利かす----。ディスコはいわば、このような小部族の週一回迎える儀式のお祭りの場所みたいなものでした。 トニーの父親は失業中で、失業保険と母親のアルバイト収入での苦しい生活は、家庭内での争いが絶えないという状況でした。 そして、両親が自慢していた兄のカトリック神父(マーティン・シェイカー)は、親に強制されたその仕事に疑問を覚えて、その職を辞めてしまい、家庭内の暗さは増す一方でした。 しかし、そんな中、トニーは土曜の夜のためだけに毎日を刹那的に生きています。そして、コンテストのパートナーに選んだ年上の女性、ステファニー(カレン・ゴーニー)に魅かれていきます。 マンハッタンからブルックリンに移り住んで、年上の作曲家の愛人として、背伸びした生活を始めた彼女にとって、トニーは単なる気休めの対象でしかありません。 この映画の結末が、トニーが仲間を見限って、気取ったステファニーに真面目な交際を求める事で、今迄の生活から抜け出せるかのような"甘い希望"で終わっているのは、少々、安易すぎるような気がします。 むしろ、ブルックリンとマンハッタンを結ぶベラザノ橋、この映画では下町と山の手を結ぶ象徴的な意味を持っているこの橋から、仲間のボビー(バリー・ミラー)が、故意か過失か、落ちて死ぬところで終わらせるべきだったと思います。 ディスコのスターであるトニーに比べてボビーは、ついていない人間です。ガールフレンドを妊娠させてしまい、中絶も出来ず、結婚に悩んできた彼は、高い橋桁の上で、トニーに言います、「今迄、話しかけてもくれなかった。なぜ一度も電話してくれなかった!」と。 強い仲間意識と裏腹の孤独感。 警官の質問にトニーは、「自殺じゃない自殺だってあるさ」と答えて、仲間から反対の方向に歩み去って行きます。 このシーンで、この映画はエンドとすべきだったと思います。 「皆が誰かに当たり散らして、お荷物を人におっつけて逃げようと躍起になっている。失業者は妻に、妻は神父に、そして俺たちだってプエルトリカンに----」と、トニーは心の中に淀んだ鬱憤を吐き出します。 これをテーマにして一貫して描けばよかったのにと思わずにはいられませんでした。 主演のジョン・トラヴォルタは、当時「トラヴォルタ・フィーバー」の見出しで、タイム誌の表紙を飾ったほどで、1970年代の若者の最先端をいくスターといわれ、1960年代の「イージー・ライダー」(デニス・ホッパー監督)のような破滅的な暗さは微塵もなく、「ロッキー」(ジョン・G・アヴィルドセン監督)のシルヴェスター・スタローンのような爽やかな明るさを持ち、しかも、ストイックな面もあり、どこかとらえどころのない雰囲気を持っている俳優だと思います。 この映画で最も胸が高鳴り、ワクワクするシーンは、映画の冒頭、ペンキの缶を抱えたトラボルタが、ビー・ジーズの「ステイン・アライブ」のリズムをバックに、下町の雑踏の中を颯爽と歩き続けるシーンで、このリズミカルな躍動感がとても素晴らしかったと思います。 バリー、ロビン、モーリスのオーストラリア出身の三兄弟のビー・ジーズの「恋のナイト・フィーバー」、「愛はきらめきの中に」等のごきげんなヒット曲が全編を流れ、心地よい気分に浸れ、音楽はハードなディスコ・サウンドというより、ソフト・アンド・メロウの柔らかい感じがしました。