코멘트
星ゆたか

星ゆたか

3 years ago

3.5


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아담

영화 ・ 2019

평균 3.6

2023.4.13 日本ではモロッコ映画初の劇場公開作品だそうだ。(2021年8月) 男性中心のイスラム国社会では、今日でも女性が犠牲になることが多いという。 婚外性交渉と中絶が違法。未婚の妊婦は《逮捕されていないだけの犯罪者》で。 病院で出産しようなら警察が飛んで来て逮捕される。故郷に戻れば疎まれる。 そして生まれた子供は〈罪の子〉と周囲から虐げられているというではないか。 現在でも社会保障などあらゆる権利を満足に受けられず、厳しい人生を強いられている状況だという。 また夫と死別・離婚した女性も社会的地位が低い。普通でないレッテルが貼られたというから驚きだ。 そういった中、この物語では。 母性を拒否する未婚女性妊婦と、生きる為に女性であることを忘れたシングルマザーという。 二人の孤独を抱える女性が、魂の交流によって、見えてきて欲しい人生にスポットライトがあてられた。 1980年モロッコ出身のマリアム・トウザニ監督は現在二歳の子供の母親になった。夫はこの作品の協力者でやはり映画監督だという。 その彼女が大学を出て間もない頃の話。 17年前に彼女の実家に妊娠8ヶ月の妊婦が訪ねて来た。行く所のないそのサシア(劇中の名前と同じ)をかくまい、その出産まで世話をしたというこれは実話だ。 そしてそれに基づくこの映画を制作して公開することが出来た。 その彼女は出産後、その子供を未婚の母の〈罪の子〉としてではなく、よそで幸せな人生を送れるようにと。 養子に出し地元へ帰っていった。 それ以来居場所も連絡先も分からないという。 その養子に出された男の子も幸せならいいが、場合によっては売り飛ばされているかも。 だからそんな彼女に向けてトウザニ監督は、本作が公開された際に。 モロッコの複数の新聞に、去っていったサシアに向けたオープンレターを掲載し、呼びかけたそうである。 『信愛なるサシアへ。この言葉があなたに届くでしょうか。これはあなたに書いているようで、実は自分のために書いているのかも知れません。………自分が母親になって息子の“ママ”の呼びかけに。 彼の小さな心臓の鼓動に。 それまでの美しい記憶が浮かび、改めて私の存在を形作っている感謝の気持ちで、胸がいっぱいになります。あの時のあなたの苦しみ、痛み。自分の子供を愛する権利を奪われたあなたの悲しみが、今になって初めて気づきました。どうか今のあなたが幸せでありますように。』と。 この映画を理解するためにはやはり、モロッコの女性の立場・状況を考えた上で見る必要がある。 映画の前半パン屋をほそぼそと一人で営むシングルマザーのアブラは、自らの幼い娘にも言われるように。 あまりにも頑なで、未婚の妊婦というサシアに対し、世間体を気にし過ぎでか『冷たい!』 自分も出産し子持ちなのに、『何日か泊めてやるから出て行って』と実に温かみに欠けている。彼女の存在を認め慣れてきても変わらずにだ。 それは未亡人である自分の立場からの後ろめたさなのかも知れないが。 そこへゆくとサシアは出産するまで動けるまではと。中々明るく前向きだ。 家事や得意な料理でも出来ることは、鼻歌まじりに何でも楽しくやる。アブラの娘ともすぐ打ち解けて仲良くなる。その楽しさを制するのが母親のアブラ。 『勉強はちゃんと出来てる?』と口癖に表情も厳しい。 そのサシアが家の掃除をしている時に見つけたカセットテープ。 かつてアブラと事故死した夫との思いでの曲。夫が亡くなって以来、封印して聞かないでおこうとしていた音楽。 かけて聞こうとするサシアの手を止めようとするアブラ、なおもアブラに聞かせようとするサシア。 しかしいつの間にかそのリズムに心も体も委ね、あるがまま身を任せるアブラ。 体を揺らしあの幸せだった瞬間、共有した時間など様々な美しい記憶が甦ってきた。 そうなることで頑なに凍りついた女心が、ようやく少しずつ溶け、表情も、優しい笑みも浮かんできた。 この辺の二人の女性としての立ち位置が逆転するドラマツルギーは中々見もの。 居場所がなく世話になる、かたや世話する関係。 ただサシアの作るパンケーキは評判で売れ行きもいい。 それはどちらが上だとか下だとかという労働の関係性でなく。 人と人の心の相関性の特性であろう。 お互いに無いものを補い、与え合うことで成長するのだ。 ただそんな明るく優しいサシアが将来の息子のために出した結論は。 自分が母親の権利を棄てて、社会の仕組みに応じて養子に出して去る決断だ。 この結論を出す夜更けの二度にわたる彼女の表情を暗くして見せないカメラワークの演出。 時おり光る頬の涙、コボレル嗚咽の声をはさみ、静かに見せる以外は、夜の明かりの消した部屋の中での彼女のアップは全く見えない。 その後苦渋の決断から朝開けぬ前に家を出る行為の最後で、彼女の決心が汲み取れた。 しかしこういった女の悲しみをもたらす原因の男の姿が。 本作でもつまりサシアを妊娠させた男については一言も語られていない。欲望のはてに消えた男はどこに。生まれてくる子供の父親の存在の責任が全く女の悲しみの前に、考えられない世間の常識はいつまで続くのだ。 この辺に昨今の♯ Me Too女性運動のうねりの原点がある。 モロッコの映画女性監督としてもう一つ。描き出したかった所として。 このような男性主導社会の映画では、とかく豪快なステレオタイプの男性が描かれ安いが。 アブラを慕うスリマニのような真心を持った優しい男性。 ひたすら女の力になろうとする男もいることを描きたかったという。 それはとかく映画が男性と女性の対立構造を描きたがる傾向があることに対し。 ここは対立するのでなく、共に前に進むために解決策を見つけていけばいいと。 その辺は夫が共に映画監督である実情背景が良く物語っている。 アブラを演じたルブナ・アザバルさん(73年生まれ)は、あの「灼熱の魂」(2010)にも出演しているベルギーの女優。 サシアを演じたニスリン・エラテさん(89年生まれ)はモロッコ出身。