
ざべす

라 만차
평균 2.9
鬼才テリー・ギリアムが妄執する『ドン・キホーテ』の映画製作が頓挫する過程のメイキング。 『ドンキホーテ』はオーソン・ウェルズも映画化を目指し未完で終わっている。 「なにかある」「呪い」のような作品かもしれない。 創作物の「呪い」はマンガやゲーム業界にも。 ・ 永井豪のマンガ『デビルマン』執筆の筆が進まなくなりお祓いをしてもらう。 すると嘘のように元気になり都合が合わずお祓いに同行できなかった編集者は交通事故にあった。 ・ 『女神転生』という悪魔や歴史上の神話の人物を使役できるゲームでは、「ミシャグジさま」という祟り神様を敬称なしで開発を進めていたところ、スタッフたちが謎の高熱をだすなどのトラブルに見舞われた。 正式なお名前を微妙に変えて「さま」付けするとピタリと怪奇現象が止んだ。 ちなみに「平将門さま」も、倒産の危機やケンカに巻き込まれたりと相当な厄が降りかかったので、敬称とお祓いとお参りをかかさず行う。(そして同じくピタリと止む) ・ 番外編。ゲーム『零シリーズ』は「ホラーゲームで恐怖を祓っちゃいかんでしょう」という信念の元、あえてお祓いに行かない。 霊現象・怪奇現象がバーゲンセールのように起こりながらのゲーム開発室に。シュールだ。 その話を聞き、人死に関わったり製作中止になるようなトラブルがない分、神様や悪魔や偉人の祟りより、無名の霊の集合体ってまだ弱いんだな…と感情に浸る。(『零』は架空の幽霊群を取り扱う) お話は戻りまして、『ドン・キホーテ』の人物は、そんな呪われそうな強烈なキャラクターではありません。 風車が巨人に見えるので「えいやー!」と突進しにかかる滑稽者いわゆる道化です。 けど「道化」というのは魅力的なものでして、『ドンキホーテ』の解釈も、 アッハッハと笑える大衆文学 → 騎士道の悪習を風刺 → ドストエフスキー「人間の魂の最も深い最も不思議な一面が、人の心の洞察者である偉大な詩人によって見事にえぐり出されている」 → やっぱり… と300年の間に変遷し論じられている。 もちろんギリアムもオーソン・ウェルズも『ドンキホーテ』の虜だ。 洗面器などのガラクタで騎士コスプレするただの頭のイカれたオッサンにここまで執心する理由…………分かります!!! これは持論ですが、 「道化」は神様が作ったものに一番近いからです。 本人は目の前のリンゴを必死に食らっているだけであろうと、周りが勝手にその得体の知れなさをいろいろと深読みしてくれるのです。 「道化」「愚者」「ジョーカー」、絶対的な王は民に強いが愚者には討たれる。トランプゲームでジョーカーが場をひっくり返せる。 「彼ら」はよく笑われるが、自身もよく笑っている。 笑いは歯を剥き出す行為だ。“攻撃”である印だ。しかし笑いは善としても語られる。 「彼ら」は両極であるし、ジョーカーのワイルドカードのように何にでもなれる。 物語が歴史が日用品が証明するように、私たちは彼らから「神の視点」を見い出します。 だから「呪い」があるとしたらここかなと。 神様に咎められた、または困難があっても立ち向かえるか試されたのかと。 ギリアム監督は過去作にもずっと「ドンキホーテ」を投影してきました。 つまり『Dr.パルナサスの鏡』では主演ヒースが途中死去、『バロン』はトラブルで製作費が膨れ上がり…などの有名逸話も「ドンキホーテ」というキーワードにあったのではと思えてなりません。 最後に。 およそ30年の恋慕が叶い今年2020年1月から『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』が公開された。 ギリアムにとってドンキホーテは自身の鏡である。その集大成を鑑賞させていただくときが楽しみです♡