toa3.0先にテリーギリアムのドン・キホーテを観てしまったんですが、遡って舞台裏を知る。 想像以上に壮大なバーン・アウトだった。 混沌こそが監督の世界。映画撮影が命がけで裸馬に乗るような大変さって、、どうなの。本当にお疲れさまです。 確かにロシュフォールさんのドン・キホーテは観てみたかったかも。 トビーは個人的にアダム・ドライバーの配役で良かった気がする。 風がすべてを運び去る。좋아요5댓글0
ざべす4.5鬼才テリー・ギリアムが妄執する『ドン・キホーテ』の映画製作が頓挫する過程のメイキング。 『ドンキホーテ』はオーソン・ウェルズも映画化を目指し未完で終わっている。 「なにかある」「呪い」のような作品かもしれない。 創作物の「呪い」はマンガやゲーム業界にも。 ・ 永井豪のマンガ『デビルマン』執筆の筆が進まなくなりお祓いをしてもらう。 すると嘘のように元気になり都合が合わずお祓いに同行できなかった編集者は交通事故にあった。 ・ 『女神転生』という悪魔や歴史上の神話の人物を使役できるゲームでは、「ミシャグジさま」という祟り神様を敬称なしで開発を進めていたところ、スタッフたちが謎の高熱をだすなどのトラブルに見舞われた。 正式なお名前を微妙に変えて「さま」付けするとピタリと怪奇現象が止んだ。 ちなみに「平将門さま」も、倒産の危機やケンカに巻き込まれたりと相当な厄が降りかかったので、敬称とお祓いとお参りをかかさず行う。(そして同じくピタリと止む) ・ 番外編。ゲーム『零シリーズ』は「ホラーゲームで恐怖を祓っちゃいかんでしょう」という信念の元、あえてお祓いに行かない。 霊現象・怪奇現象がバーゲンセールのように起こりながらのゲーム開発室に。シュールだ。 その話を聞き、人死に関わったり製作中止になるようなトラブルがない分、神様や悪魔や偉人の祟りより、無名の霊の集合体ってまだ弱いんだな…と感情に浸る。(『零』は架空の幽霊群を取り扱う) お話は戻りまして、『ドン・キホーテ』の人物は、そんな呪われそうな強烈なキャラクターではありません。 風車が巨人に見えるので「えいやー!」と突進しにかかる滑稽者いわゆる道化です。 けど「道化」というのは魅力的なものでして、『ドンキホーテ』の解釈も、 アッハッハと笑える大衆文学 → 騎士道の悪習を風刺 → ドストエフスキー「人間の魂の最も深い最も不思議な一面が、人の心の洞察者である偉大な詩人によって見事にえぐり出されている」 → やっぱり… と300年の間に変遷し論じられている。 もちろんギリアムもオーソン・ウェルズも『ドンキホーテ』の虜だ。 洗面器などのガラクタで騎士コスプレするただの頭のイカれたオッサンにここまで執心する理由…………分かります!!! これは持論ですが、 「道化」は神様が作ったものに一番近いからです。 本人は目の前のリンゴを必死に食らっているだけであろうと、周りが勝手にその得体の知れなさをいろいろと深読みしてくれるのです。 「道化」「愚者」「ジョーカー」、絶対的な王は民に強いが愚者には討たれる。トランプゲームでジョーカーが場をひっくり返せる。 「彼ら」はよく笑われるが、自身もよく笑っている。 笑いは歯を剥き出す行為だ。“攻撃”である印だ。しかし笑いは善としても語られる。 「彼ら」は両極であるし、ジョーカーのワイルドカードのように何にでもなれる。 物語が歴史が日用品が証明するように、私たちは彼らから「神の視点」を見い出します。 だから「呪い」があるとしたらここかなと。 神様に咎められた、または困難があっても立ち向かえるか試されたのかと。 ギリアム監督は過去作にもずっと「ドンキホーテ」を投影してきました。 つまり『Dr.パルナサスの鏡』では主演ヒースが途中死去、『バロン』はトラブルで製作費が膨れ上がり…などの有名逸話も「ドンキホーテ」というキーワードにあったのではと思えてなりません。 最後に。 およそ30年の恋慕が叶い今年2020年1月から『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』が公開された。 ギリアムにとってドンキホーテは自身の鏡である。その集大成を鑑賞させていただくときが楽しみです♡좋아요2댓글0
ひろ3.5テリー・ギリアム監督による映画「ドンキホーテを殺した男」の製作が中止になるまでを描いた2002年のドキュメンタリー映画 ・ 1999年、テリー・ギリアムの壮大な新作が始動する。タイトルは「ドンキホーテを殺した男」。キャストはジャン・ロシュフォール、ジョニー・デップ、ヴァネッサ・パラディなど。製作開始間際、出資者が撤退。そして2000年6月、いよいよ製作が開始されるが、ここからが悪夢の始まりだった…。 ・ こんな映画観たことない。製作中止になった映画のメイキング・ムービーなんて。スタッフや出演者は思い出したくもないだろう。観てるこっちまで泣きそうになるぐらい悲劇が襲う。 ・ かつて、オーソン・ウェルズ監督が14年かけて映画化をしようとしたにも関わらず完成に至らなかった「ドン・キホーテ」。それ以来、誰も映画化していないことから、“ドン・キホーテの呪い”なんて言われる始末。 ・ テリー・ギリアム監督の作品が好きな人なら知ってると思うが、彼にとって“ドン・キホーテ”は永遠のテーマ。今までの作品の主人公は、いつだってドン・キホーテをモチーフにしたキャラクターだった。そんな監督が、10年の構想の末に製作を始めた「ドンキホーテを殺した男」。ここでも“ドン・キホーテの呪い”が発動してしまう。 ・ 俳優側のわがままで契約が決まらなかったり、予算が削られたり、悪天候や俳優の病気など、もう呪いとしか言いようがないほど悲惨なことに。 ・ 奇才テリー・ギリアムのやりたいことを映画化するには、あまりにも予算が足りないという。こんなすごい監督でも、予算などに悩まされる。この作品では、生々しいぐらいに映画製作の裏側を観ることができる。 ・ ジョニー・デップの私服とか監督との打ち合わせシーンなんかファンにはたまらないかも。完成していたいくつかのシーンを観ただけで、完成していたら間違いなく面白かっただろうなって予想できる。 ・ こんな映画を撮ろうと思ってたわけもなく、本来はメイキング・ムービーを撮っていた。この悲しいドキュメンタリーのナレーションをジェフ・ブリッジスがやってるのは豪華。 ・ この失敗により、映画化権も保健会社に移っていたが、10年の時を経て、再びテリー・ギリアム監督によって製作が始まり、2011年に公開予定だという。しかし、すでにジョニー・デップの出演は不可能になり、スケジュールにも遅れが出てるらしい。恐るべし“ドン・キホーテの呪い”좋아요2댓글0
toa
3.0
先にテリーギリアムのドン・キホーテを観てしまったんですが、遡って舞台裏を知る。 想像以上に壮大なバーン・アウトだった。 混沌こそが監督の世界。映画撮影が命がけで裸馬に乗るような大変さって、、どうなの。本当にお疲れさまです。 確かにロシュフォールさんのドン・キホーテは観てみたかったかも。 トビーは個人的にアダム・ドライバーの配役で良かった気がする。 風がすべてを運び去る。
ざべす
4.5
鬼才テリー・ギリアムが妄執する『ドン・キホーテ』の映画製作が頓挫する過程のメイキング。 『ドンキホーテ』はオーソン・ウェルズも映画化を目指し未完で終わっている。 「なにかある」「呪い」のような作品かもしれない。 創作物の「呪い」はマンガやゲーム業界にも。 ・ 永井豪のマンガ『デビルマン』執筆の筆が進まなくなりお祓いをしてもらう。 すると嘘のように元気になり都合が合わずお祓いに同行できなかった編集者は交通事故にあった。 ・ 『女神転生』という悪魔や歴史上の神話の人物を使役できるゲームでは、「ミシャグジさま」という祟り神様を敬称なしで開発を進めていたところ、スタッフたちが謎の高熱をだすなどのトラブルに見舞われた。 正式なお名前を微妙に変えて「さま」付けするとピタリと怪奇現象が止んだ。 ちなみに「平将門さま」も、倒産の危機やケンカに巻き込まれたりと相当な厄が降りかかったので、敬称とお祓いとお参りをかかさず行う。(そして同じくピタリと止む) ・ 番外編。ゲーム『零シリーズ』は「ホラーゲームで恐怖を祓っちゃいかんでしょう」という信念の元、あえてお祓いに行かない。 霊現象・怪奇現象がバーゲンセールのように起こりながらのゲーム開発室に。シュールだ。 その話を聞き、人死に関わったり製作中止になるようなトラブルがない分、神様や悪魔や偉人の祟りより、無名の霊の集合体ってまだ弱いんだな…と感情に浸る。(『零』は架空の幽霊群を取り扱う) お話は戻りまして、『ドン・キホーテ』の人物は、そんな呪われそうな強烈なキャラクターではありません。 風車が巨人に見えるので「えいやー!」と突進しにかかる滑稽者いわゆる道化です。 けど「道化」というのは魅力的なものでして、『ドンキホーテ』の解釈も、 アッハッハと笑える大衆文学 → 騎士道の悪習を風刺 → ドストエフスキー「人間の魂の最も深い最も不思議な一面が、人の心の洞察者である偉大な詩人によって見事にえぐり出されている」 → やっぱり… と300年の間に変遷し論じられている。 もちろんギリアムもオーソン・ウェルズも『ドンキホーテ』の虜だ。 洗面器などのガラクタで騎士コスプレするただの頭のイカれたオッサンにここまで執心する理由…………分かります!!! これは持論ですが、 「道化」は神様が作ったものに一番近いからです。 本人は目の前のリンゴを必死に食らっているだけであろうと、周りが勝手にその得体の知れなさをいろいろと深読みしてくれるのです。 「道化」「愚者」「ジョーカー」、絶対的な王は民に強いが愚者には討たれる。トランプゲームでジョーカーが場をひっくり返せる。 「彼ら」はよく笑われるが、自身もよく笑っている。 笑いは歯を剥き出す行為だ。“攻撃”である印だ。しかし笑いは善としても語られる。 「彼ら」は両極であるし、ジョーカーのワイルドカードのように何にでもなれる。 物語が歴史が日用品が証明するように、私たちは彼らから「神の視点」を見い出します。 だから「呪い」があるとしたらここかなと。 神様に咎められた、または困難があっても立ち向かえるか試されたのかと。 ギリアム監督は過去作にもずっと「ドンキホーテ」を投影してきました。 つまり『Dr.パルナサスの鏡』では主演ヒースが途中死去、『バロン』はトラブルで製作費が膨れ上がり…などの有名逸話も「ドンキホーテ」というキーワードにあったのではと思えてなりません。 最後に。 およそ30年の恋慕が叶い今年2020年1月から『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』が公開された。 ギリアムにとってドンキホーテは自身の鏡である。その集大成を鑑賞させていただくときが楽しみです♡
ひろ
3.5
テリー・ギリアム監督による映画「ドンキホーテを殺した男」の製作が中止になるまでを描いた2002年のドキュメンタリー映画 ・ 1999年、テリー・ギリアムの壮大な新作が始動する。タイトルは「ドンキホーテを殺した男」。キャストはジャン・ロシュフォール、ジョニー・デップ、ヴァネッサ・パラディなど。製作開始間際、出資者が撤退。そして2000年6月、いよいよ製作が開始されるが、ここからが悪夢の始まりだった…。 ・ こんな映画観たことない。製作中止になった映画のメイキング・ムービーなんて。スタッフや出演者は思い出したくもないだろう。観てるこっちまで泣きそうになるぐらい悲劇が襲う。 ・ かつて、オーソン・ウェルズ監督が14年かけて映画化をしようとしたにも関わらず完成に至らなかった「ドン・キホーテ」。それ以来、誰も映画化していないことから、“ドン・キホーテの呪い”なんて言われる始末。 ・ テリー・ギリアム監督の作品が好きな人なら知ってると思うが、彼にとって“ドン・キホーテ”は永遠のテーマ。今までの作品の主人公は、いつだってドン・キホーテをモチーフにしたキャラクターだった。そんな監督が、10年の構想の末に製作を始めた「ドンキホーテを殺した男」。ここでも“ドン・キホーテの呪い”が発動してしまう。 ・ 俳優側のわがままで契約が決まらなかったり、予算が削られたり、悪天候や俳優の病気など、もう呪いとしか言いようがないほど悲惨なことに。 ・ 奇才テリー・ギリアムのやりたいことを映画化するには、あまりにも予算が足りないという。こんなすごい監督でも、予算などに悩まされる。この作品では、生々しいぐらいに映画製作の裏側を観ることができる。 ・ ジョニー・デップの私服とか監督との打ち合わせシーンなんかファンにはたまらないかも。完成していたいくつかのシーンを観ただけで、完成していたら間違いなく面白かっただろうなって予想できる。 ・ こんな映画を撮ろうと思ってたわけもなく、本来はメイキング・ムービーを撮っていた。この悲しいドキュメンタリーのナレーションをジェフ・ブリッジスがやってるのは豪華。 ・ この失敗により、映画化権も保健会社に移っていたが、10年の時を経て、再びテリー・ギリアム監督によって製作が始まり、2011年に公開予定だという。しかし、すでにジョニー・デップの出演は不可能になり、スケジュールにも遅れが出てるらしい。恐るべし“ドン・キホーテの呪い”
mii kon
3.0
テリーギリアムをリーダーにして 物事を進めるのはなかなか大変…。 にしても、撮影2日目の大嵐、 主役の怪我、不運続きでもう可哀想(+_+)
川鵜
3.0
とある映画が出来上がらなかった過程を追ったドキュメンタリー。実写映画ナメててごめんなさい。
NARU
3.0
「地獄の黙示録」を撮っていた頃のコッポラと同じ臭いのする監督です。
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