코멘트
まず、We Need to Talk About Kevinという原題から、この映画が両親に焦点を当てていることが分かるのに、なぜこんな邦題を付けたのかと思う。これは、子育てに真剣に向き合うことを避けた親の話だ。 ケヴィンは、エヴァが責任感から果たす母の務めをケヴィンに"愛情"と思い込ませようとしていること、それをいつまでも続けること、に怒っていて、もう止めて欲しかったのだと感じた。それを反抗で示しても、エヴァは何も汲み取らない。 事件後、エヴァが全てを失っても"母親"を止めることはなく、ケヴィンの望んだもの(母親という建前を捨てて、正直に接してもらう事)は得られなかった。それなら自分の人生を費やしてきた反抗は、何の意味もなかったのか。どうするのが正しかったのか。「分かっていたはずなのに、自分でもやっぱり分からない」 彼らが息子について話し合っていれば事態は変わったのだろうか? 個人的には、ありのままの息子が愛せないなら正直に冷たく接するべきだったのではないかと思う。母親としてボロを出さないことだけに必死な母、現実を全く見ず理想しか受け入れない無責任な父。彼らが良い親のふり、愛してるふりをしたら、ケヴィンは責める先が無い。せめて、愛されないケヴィンの中で"悪者"になってやれたら、彼は壊れなかったのではないか。
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