
星ゆたか

소년 아메드
평균 3.3
2022.4 〔ダルデンヌ監督兄弟の言葉〕 『狂信的なイスラム主義者になった少年をいかに救えるか』 『この映画が描く魂の救済は、奇跡に拠(よ)るものでなく慈しみの心に拠る』。 監督は、ヨーロッパ諸国で続いた自爆テロに考えされ、若者達の“純血”というものに対する独特の考え方の基盤に触れてみたいと、この作品に挑んだという。彼らにとって我々は不純な存在であり、彼らの 王国を汚す存在だと信じている。そして人々が狂信的になる理由の奥には、経済的、社会的な要因があることを、忘れてはいけませんと。 映画は少年アメッドにひたすら寄り添うカメラで、彼の行動、表情を写しとり物語を進めていく。まさに息苦しいほどに。 ついこの前では、ゲーム好きの普通の男の子だったのに、と母親がいうのだから、我が子が起こした事件は決して遠い異国の話ではない。 しかし『背教師を見つけたら排除すべき』という導師の、イスラム経典の教えを実行し、恩義のある女性教師殺害未遂事件を起こし、少年院に入れられ、母親が嘆き悲しむのも無理はないが、この辺りの状況はやや特殊。宗教に縁のない多くの日本人にはなかなか理解しがたい。 この“背教師”と判断された要因は、「大人のムスリムは女性に触らない」「聖なる言葉を歌いながら学ぶなんて冒涜的」などという理由だ。女性教師はコーランに出てこない日常的な、現代的なアラビア語を歌を通じて学べるからと説明し、集会に集まった人達の中には、就職に有利になると同意する者もいる。だから全てのイスラム教徒が、あまりにも狭義な教えに狂信的なのではない。 しかし少年院に入り更正活動もし、動物に触れ世話をしたり、その中で彼に好感を抱きキスの“指導”までしてくれる女の子までいるのに、彼の中の“背教師は排除すべき”の教えは、揺るがない。ただこの 時の思春期 の新たなる経験も、この少女に“改心”を求め無視された結果、彼の狂信性を凝り固めさせたか? 面会にきた女性教師を再び 刺し殺す気持ちで、歯ブラシの先を鋭くして準備する。けれどこの時は彼女の方が、事件の記憶の動揺でかなわない。さらに車で移送中逃げ出し、彼女のアパートへいき外壁の杭でまたも“排除”の行動を取ろうとする。ここまでの経典への狂信性って?本当にある意味スゴイ! 最後に、少年が犯行に失敗し傷つき動けなくなって、苦しくて母を呼び(再生の予感)、女性教師に詫びの言葉(懺悔)が彼の口から出てきた辺りに、初めて少年の魂に救いが生まれた。