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dreamer

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4 years ago

5.0


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카마타 행진곡

영화 ・ 1982

평균 3.4

"泣く、笑う、ハラハラドキドキの映画愛に満ち溢れ、人間の情念を描く人情喜劇の最高傑作" 「蒲田行進曲」はつかこうへいの作・演出により上演された舞台劇を小説化したもので、最初は「銀ちゃんのこと」という表題でしたが、その後、加筆され表題を舞台通りにした単行本で第86回の直木賞を受賞しました。 この原作の小説は「ヤスのはなし」と「小夏のはなし」から構成されていて、加虐的で被虐的な男女の三角関係を毒気に充ちた独白体で描かれていて、舞台劇の時のセリフの鋭さが生かされているように思います。 文庫版の文芸評論家の後書きで「上から下へと階層を下る加虐の志向。そして下から上へとのぼりつめる被虐の情熱。上下をつなぐこの熱き連帯!となると、この作品は実は、今なお日本人をとらえてやまない日本的人間関係、組織の体質への実に鋭い批評となっている」と記述されていて、小説のラストは「こぶしほどもある血のかたまりを口から吐きだし、ヤスが崩れるように倒れるのが、あたしの目に映った。」という小夏の独白で終わり、悲劇的な結末を迎えます。 映画「蒲田行進曲」は角川春樹事務所と松竹が提携してその企画と、東映京都撮影所の製作協力により実現したもので、原作者のつかこうへいが脚本も担当していますが、原作の小説と違って、喜劇仕立てでテンポも早く小説の後半の「小夏のはなし」で感じた冗長さがなく、引き締まったシナリオになっているように思います。 「仁義なき戦い」シリーズで日本映画界のエースとなった深作欣二監督はこの映画の製作の意図を「サド・マゾの原作の味はそこそこに抑えて、下積みの大部屋俳優の哀歓、カツドウ屋精神の発露にポイントを移した」と語っているように、映画の主役は小夏役の松坂慶子と銀四郎(銀ちゃん)役の風間杜夫ですが、深作監督はヤス役の平田満及びその他の大部屋俳優に全面的に感情移入してこの映画を撮っていて、温かくて優しい、けれども厳しいまなざしで彼等を見つめる深作監督の愛情が感じられ、我々観客の魂を揺さぶり、心の琴線を震わせます。 そしてこの映画の一つの重要な核ともなる、唐突に出て来る暴力描写がありますが、深作監督は1970年代前半の「仁義なき戦い」シリーズなどで隆盛を誇った"実録路線"が衰退して来た1980年代初めの状況において「暴力は映画の素材として観客から喜ばれなくなった。----ヒロイズムが観客をシラケさせる」と当時語っていて、この「蒲田行進曲」では暴力を映画の奥底に沈潜させながら「志半ばにして死んでいく勤王の志士として落ちていくんだぜ。一歩でも二歩でもはいあがっていってやるよ!」と万年大部屋俳優のヤスが、下積みの鬱憤を爆発させるラストの階段落ちのシーンに"屈折した男女の愛、人間の情念や矜持"を集約させていて、従来の松竹大船調の甘いメロドラマ調の雰囲気を漂わせながら、東映映画的な仁義の世界も歯切れよくシャープに描いていて、映画に携わる全て(製作者側・観客側)の人々に対する"映画賛歌"を高らかに歌い上げていて、非常に感動的で楽しい映画になっているのだと心の底から思います。 この映画を観た観客の特に女性の感想の中でよく言われていた、ヤスが突然、愛する小夏に対して暴力という形で自分の感情を爆発させるシーンについても、「暴力は日常生活においては忌避されるべきものだが、私は暴力というものに対して、何かしびれるような陶酔感と憧れをもち、それをヤスが突然、小夏に対して暴力を爆発させるというシーンで表現したかった」と後に深作監督は語っています。 銀ちゃん役の風間杜夫とヤス役の平田満は共につかこうへいの舞台で鍛えられた歯切れのいい、まるで機関銃のようなテンポのいいセリフ廻しと体を張った熱演は感動的でした。 風間杜夫のスターの持つオーラを感じさせる雰囲気とメリハリの効いた口跡の素晴らしさ、平田満の屈折した感情の発露、体を張った一世一代の熱演ぶりには何度この映画を観ても心打たれるものがあります。 またこの映画のセンスのいい主題歌「恋人も濡れる街角」、懐かしい雰囲気の挿入歌「蒲田行進曲」も"全編映画愛に満ち溢れ、映画へのノスタルジーをかきたててくれます。 そして有名な映画のラストシーンは、劇中劇のドンデン返しで幕を下ろしますが、つかこうへいの言う「嘘にみちた映画らしい映画」であり、深作監督の言う「おかしく、哀しい人間どもの、報われることなき情念のドラマ」になっていて、やはり原作の小説よりもこの映画の方が何倍も面白く、完成度も高く、何度観ても観るたびごとに映画を観る楽しさ、喜び、感動を与えてくれる名画だと思います。