코멘트
dreamer

dreamer

4 years ago

3.5


content

시리아나

영화 ・ 2005

평균 2.9

中東の石油は西側資本主義の生命線だった。 アメリカでは二大石油企業が合併を試み、CIAは中東を思いのままに操ろうと間者を派遣する。 一方、中東の王子は、未来のために民主化を推進しようとするが、保守化した王や野心的な弟に妨げられる。 石油プラントに出稼ぎに来たものの首を切られて、息詰まった青年は自爆テロリストにスカウトされる-------。 この映画「シリアナ」は、ジョージ・クルーニーとスティーヴン・ソダーバーグ製作のポリティカル・ドラマだ。 ポスターでは目隠しをされた、CIAエージェントのボブに扮するジョージ・クルーニーのアップが使用されているが、「シリアナ」は大量の主要な人物が登場する群像劇ゆえ、彼は、まあ、誰かを選ぶとすれば、最初に主人公として挙げられる役だとは思うが、特にクルーニーだけに焦点が当たっているわけではない。(現にクルーニーは、この映画の演技でアカデミー賞助演男優賞を受賞している) クルーニーはこういう、自分で製作して自分で出演して、時には自分で演出もするわけだが、彼の映画製作者としての最大の美点というか、感心するところは、決して出しゃばり過ぎないところにあると思う。 「シリアナ」でいうと、体重を増やして、ほとんど見苦しいくらいの、いかにも窓際に飛ばされる寸前のうだつの上がらないCIAエージェントになりきっている。 このクルーニーと「オーシャンズ11」「オーシャンズ12」などで共演しているマット・デイモンは、ここではエネルギー・アナリストのウッドマンに扮し、中東のある国の王子と共に国の民主化を手助けするという役どころで、青二才ぶりが板についていた「オーシャンズ」とは打って変わって、かなり成長した様子を見せてくれる。 最初はまるで関係のなかったクルーニーとデイモンの人生が交錯して、二人が最後、一瞬顏を合わすところが作品のクライマックスとなっているのだが、「オーシャンズ」のつもりで大団円を待っていると、当然、スティーヴン・ギャガン監督の作品ではそうはならない。 「オーシャンズ」の主人公とツキ男の二人がいても、これだけ話がデカイと事は簡単には運ばないようだ。 スティーヴン・ギャガン監督は、どうしてもアンチ「オーシャンズ」を提供したかったんではないかと思ってしまう。 クルーニー、デイモン以外にも重要な役は数多くあり、デイモンの妻ジュリーに扮するアマンダ・ピートも、いかにもといった感じで悪くない。 また、巨大企業を表から裏から動かすクリス・クーパー、クリストファー・プラマー、企業弁護士のジェフリー・ライト、中東の王子に扮するアレクサンダー・シディグ、日雇い人夫のマザール・ムニールといったところが、一応は主要登場人物と言える。 「トラフィック」での脚色でも見せたように、こういう群像劇はスティーヴン・ギャガンの得意とするところであり、それはこの作品でも変わっていない。 同様に緻密な群像劇というと、真っ先に思い浮かぶのは、なんといっても「クラッシュ」のポール・ハギスだろうが、ギャガンは「L.A.ロウ」、ハギスは「NYPDブルー」など、どちらもTVのスティーヴン・ボコチ製作のドラマの脚本を経験して世に出て来ているなど、経歴も実によく似ているんですね。 元々、それらのドラマが大勢の主人公を並行して描く番組だったわけだから、彼らがこういう群像劇を得意としているのは当然だとも言えますね。 とはいえ「クラッシュ」がLAを舞台に、そこに蠢く多くの名もなき人々の人生が交錯するというドラマだったのに較べ、「トラフィック」「シリアナ」は、国境を越えての政治ドラマで、その辺の視点というものがまず違う。 「クラッシュ」の場合は、あまりにも話を緻密に紡ぎすぎて、登場人物以外の外部の見えない手というものを想起させたが、「シリアナ」の場合は、その役目を政治や権力というものが担っている。 結局、市井の人々は、自分の思い通りにはならない世界で苦しみながら、なんとかそこで帳尻を合わせるしかないのだ。 そういう微視的な視点か巨視的な視点かという違いがあっても、これらの作品が最後にはかなり似たような感慨をもたらすのは不思議だ。 夢破れた後の諦観とも言えるし、小さな幸せとも言える。 どんな小さな世界にも、機構的な上下の関係はあるし、どんな大きな世界でも、結局、人一人が動かないと物事は動かない。 あるいは、それなのにその人間は使い捨てかもしれない。 分相応を守るべきか勝負を賭けるべきか。 どっちに転んでも、負けてしまいそうな気もするし、どう転んでもなんとかなるような気もする。 こういったジレンマこそが、群像劇の最大の面白さなのかもしれません。