
星ゆたか

미세스 노이지
평균 3.5
2023.2.2 ことの発端は2011年に奈良県の“騒音おばさん”という異名で、世間を騒がせた事件をモデルにしている。 天野千尋監督(1982年生まれ)が作りだしたオリジナル脚本だ。 日本映画批評家大賞・脚本賞受賞。 布団を叩きながら、ラジカセの大音量、ものすごい形相の河原美代子さん、この58歳の主婦の迷惑行為。さらにその後の器物破壊行為の件で、彼女は一年半の罪で起訴された。 当時テレビの報道などで、隣家の夫婦の撮った証拠映像を見る限り、困った恐い加害者のイメージを、茶の間の視聴者は、“面白おかしく”抱いた人が多かったのではなかったかと記憶している。 物語の本作の小説家・吉岡真紀はかって人気評判作を数冊書いた女性だが、理解ある音楽関係の夫との間に女の子を一人出産し子育てする中、スランプに陥っている。 新しく住居も変え心機一転。 とにかく書き続けることで、何とか脱出口を見出だそうと焦る日々を送る。 そして出版社に書き上げた原稿を持参するが、『物語に深みが無い』『かつての二番煎じ。』と却下されてしまう。 それでもある日朝方まで原稿を悩みつつ書き上げようとする時、突然ものすごい騒音と、それに合わせた口調の歌騒ぎに集中力をソギオトサレタ!。何だ? ベランダに出て見れば隣室のおばさんが、ものすごい力で布団を何か呟きながら叩いているではないか。こんなに朝早くから。 『すいません、もう少し音を小さくして貰えませんか』とお願いする。 その後日中小説を書き上げる中、我が子の世話が出来ず、その子供を外へ一人で遊びに行かせてしまった。心配する中、近くの公園で遊んできたと、断りもなく隣室のおばさんに連れられて帰ってきた娘。何の屈託もなくご機嫌だ。 その初めての時は仕方なくお礼を言うものの。 その後夕方暗くなるまで帰って来ない時は夫と相談、警察に届けようとした。 その矢先にも再び、隣室のおばさんに連れられて帰宅したから。 仕事の上手くいかないストレスも相まって堪忍袋の緒が切れた!。 『お宅変ですよ!』 『何よ貴方がほったらかしにしてるからでしょ!』 《悪たれの“売り言葉に買い言葉”の応酬》 お互い今にも飛びかかろうとする勢いで、罵り合う始末。 この辺は冷静な夫の反応と同じで、観客心理としても、この妻(母親)の言動には、いささか過剰な防衛感情や身勝手さを感じる。 そこまでが前半で。 中盤に入り、それまで小説家・真紀の側の視点で語られた経緯が。 今度は隣室のおばさん美和子の立場になってそこまでの同じイキサツが語られていく。 朝早くからのあの激しい布団叩きの理由。子供を断りもなく連れ出し遊ばせた訳。この子が言うことを聞かずやりたい放題で、帰らせようとしても駄目なので仕方なく一緒に遊ぶ。このおばさんの働き場・野菜集配所での様子。そして家で精神を病んでいる夫との暮らしぶり。さらに幼い一人息子を亡くしていた事情などが。こと細かく。決して嫌われ者のおばさんではなく、むしろ好まれてる様子まで。 しかしスランプの姉の、真紀の弟のその布団叩きの騒音騒ぎを小説のネタにしたらの助言。 そこからの小説の着想と、そして書き上げ、その本の売り出しへの流れの中で。 アパートのベランダ越しの壮絶な二人の喧嘩ぶりの弟の写した動画配信と。 さらに真紀が、騒音と誘拐を法的手段の訴訟を起こすための資料とし撮った証拠映像が。 同時に若い一般大衆に“拡散”されて面白がれたために。 事態は思いもかけぬ社会騒動を引き起こすことになっていく。 この作品は途中から、双方の立場から物事を見つめ考える重要性を、問う形で描かれている。 一方から見た事実は、必ずしも真実でないということ。 またそれが社会的地位の立場を利用して(小説家が市民をネタにする)自分たちに優位な事実を、作為的に感情でまくし立てようとすることが可能なので。 メディアリテラシーに欠ける人々(メディアを主体的に読み解く能力で、分析評価し、異文化を越えて対話して、市民社会に参加行動する能力)が鵜呑みにする危険性が生じ安いことを見せた。 ネットユーザーが制作側の悪者仕立ての演出に乗って、繰り広げられる 「炎上マーケティング」。 人々の負の感情を呼び起こすことで、熱気を発生させ、注目を集めてエスカレートしていく。 映画では騒音おばさんの夫の自殺未遂事件で、形勢逆転現象が起きる。 そして方向と対象を変えて “燃え上がる”、大衆の勢いを加えて。 小説家の方が今度は悪者にされる。 自宅や実家まで集まり群がる報道関係者たち。 『私が小説を売るためにしてきたことは‥?』 この自問自答で、小説家の彼女自身があまりにも、自分本意の考え方だったことに気づき。 おばさんの許可も得て、新たに改訂版「ミセス・ノズイ」を世にだし、『笑って泣ける小説』と賞賛される展開になる。 本当に彼女の小説を愛する出版社の編集長や、昔彼女のファンのサロン譲などは世間の“面白現象の反応”に惑わされることなく、ちゃんと見極めている辺りもちゃんと描かれる。 またギクシャクしていた夫や子供ともようやく心から打ち解けられた。 おばさんと小説家とその子供の三人が、わだかまりを越えて和解し歩く場面は実に感動的。 『私達は間違ってない。変で悪いのは世間の方だ』折れそうな気持ちをその度々に奮い立たせ生きてきたであろう、この女性のここでの言葉には泣かされた。 なんか大高洋子さんって、我々の日常のどこかで見たことのあるような、懐かしさを感じさせる容貌だ。 そして冒頭の“騒音おばさん”のその後の実情。これは報道されなかったが。 もともと隣家の夫婦が〇〇学会のしつこい勧誘をしてくるので、それを断った所からその夫婦とのこじれが始まったらしい。 またこの騒音おばさんの家の事情は。 夫が入院中で、障害を持つ息子を看病しながら暮らしていた。 そこで勧誘を断ったおばさんに最初に嫌がらせをしたのは、騒音を訴えた夫婦の方だったらしい。 あの夫婦が証拠資料として録画し公表した映像も、ある意味あの夫婦側の作為によって作られた“被害者映像”だったということだ。 だからあの騒音おばさんも他の近所の人達との間には、決してトラブルもなく。 おばさんが囚われている間は、今度はあの訴えた夫婦が、近所からいじめられ、居たたまれなくなって引っ越し、あの騒音おばさんはそのままそこで静かに暮らしているとのことで。 その辺のことは一般視聴者は全く知らされてなく、そういった事実があったということだ。 しかしながらあのおばさんのあの形相があまりに“悪者風の怒り顔”なので、大分損をしているのも事実。 まさに“笑顔にまさる美人はない”か? この辺はこの映画でも小説家を演じた篠原ゆきこ(81年生まれ)さんと隣室のおばさんの大高洋子(65年生まれ)さんのキャスティングに通じる“見てくれ”である。 「ポストトゥルース」という言葉がある。 デマによってならず者が英雄になり、 正しいはずの人間が悪者にされる。 被害者にも加害者にもなる異常な状況をさすらしい。 スマホ依存性なる社会的問題がある今日。 「フィルターバブル」 最近でもブラジル新大統領就任をめぐり、反対勢力がSNSで暴動を呼び掛けた事例がある。 SNSなどのデジタル空間で、見たい情報だけに囲まれ、反対意見が見えなくなる状態のこと。 社会を分断し民主主義を脅かす事例が起きているということだ。 「デジタルダイエット」 情報の偏食。認知が歪み正常な判断が出来なくなる恐れがある状態。 インターネットの発展とSNSの普及でもたらせられたこのような様々な問題をこの映画でも改めて考えさせられた。