코멘트
こうりん

こうりん

4 years ago

3.0


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유리쿠마 아라시

시리즈 ・ 2015

평균 3.2

幾原監督の前作『輪るピングドラム』は、アイデンティティを巡る問題提起だった。 「きっと何者にもなれない」「透明な存在」たる「愛されなかった」自分から、(列車を乗り換えるように、運命を乗り換えて)「選ばれる」ことを、すなわち何者かとしてアイデンティティを得ることを望んだ少年少女の物語であった。ただし運命の乗り換えには、ある代償が伴っていた。一話冒頭の男児の会話。 「つまり、林檎は愛による死を自ら選んだ者へのご褒美でもあるんだよ」 「でも、死んだらそこでおしまいじゃん」 「おしまいじゃないよ! むしろそこから始まるって賢治は言いたいんだ」 「ぜんぜんわかんねえよ」 「愛の話だよ。なんでわかんないかなあ」 周知のように、林檎の授受とは「選ばれる」こと、すなわち「愛される」こと、アイデンティティの獲得のことであった。だが、これらは「愛による死」であって、存在の忘却という代償を伴っていた。事実、後日譚では彼らは「夢」として忘却される。 そして『ユリ熊嵐』である。今作では「選ばれた」記憶を忘却したクマの少女・銀子が主人公として登場する。ここで幾原は『輪るピングドラム』での結末の先を、さらなる問題提起を見据えているのだ。そう考えれば、ピンドラ劇場版が「きっと何者かになれるおまえたち」を相手にしているのだから、とうぜん『ユリ熊嵐』を含めた過去作の文脈上にあると考えるべきだ。つまり劇場版ピンドラも含めた幾原作品は、とてつもないハイコンテクストの上に成り立っているのである。置いてかれるな!