コウキマン3.02019.2.17.017 ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる者)としてソ連から外交官待遇を拒否された杉原千畝の、二次大戦中の活躍を描いた映画。池上彰の「世界の見方ドイツとEU」で杉原千畝の名前を知り、ちょこっとネットで杉原千畝についての予備知識を入れた上での映画鑑賞。 第二次大戦時、リトアニアの日本領事館で勤務。諜報活動を行いヨーロッパの情勢を詳しく本国へ送っていた。戦争は激化していき、ナチスドイツがヨーロッパで猛威を振るう。やがてあちこちでユダヤ人への迫害・虐殺が行われるようになり、ユダヤ人含む難民が日本領事館に通過ビザを求めやってくる。 本国の許可がないまま、彼が発給したビザは2000以上。当然ながらビザを手にした難民のすべてが生き延びれたわけでもないが、生き残った方々の子孫が今世界中に4万人いるのだそうだ。難民の多くはユダヤ人だったそうで、1985年にはイスラエル政府から表彰。しかし日本では外交官の職を追われるなど冷遇されていたことが何とも…。 作中、「ヴィザを発給します」と宣言したとき大きな歓声が上がったシーン、難民が涙ぐみながらビザを受け取るシーン、よかったな。名作と呼ばれるような作品ではないかもしれないけど、このような偉人?勇気と英断をもって多くの命を救った方を記憶、記録するという意味では大きな意味のある映画だと感じた。좋아요11댓글0
星ゆたか3.02024.12.10 第2次世界大戦中にナチスの迫害から逃れる人々な為に。 独断で日本通運のビザを発行。 6000人あまりのユダヤ人を救った外交官·杉原畝(うね:1900~1986)の生涯を描いた作品。 監督は56歳の時のチェリン·ブラック。 米国人の父と日系米国人の母に和歌山で育てられたとの事。 出演は唐沢寿明(51歳).小雪(38歳).小日向文世(60歳).塚本高史.濱田岳.ボリス·シイツ.アグニエシュカ·クロボワスカ等。 『日本のシンドラー』と呼ばれた外交官。 必死の勉強で身に付けた語学(英·仏·独·中·露)と豊富な知識を駆使して。 インテリジェンス·オフイサー(諜報外交官)として。 1924年満州ハルピン日本領事館に。 この頃1度目の結婚.ロシア人と(映画ではロシアのスパイとされたイリーナ)がある。 ソ連とわが国との鋭い諜報活動に。 日本外交官としてソ連から。 『ペルソナ·ノン·グラータ(好ましからぬ人物)』と指定されたとか。 その後個人的感情の理由でない離婚(国の事情)。 そして日本人女性と再婚し2人の子を持ち。 37年にヘルシンキへ。 そして更に39年リトアニア·カワナスに日本領事館を開設。 このリトアニアと日本の関係には。 それより前1862年から何やらあって。 日本使節団が当時英語の話せる福沢諭吉の通訳と共に訪れている。 またリトアニア人のステポナス·カイリスというジャーナリストが。 『日露戦争の日本人の強さと抵抗力の源は何か』の書物の出版などもあり。 すでに認識のあった関係性の中で。 杉原外交官の赴任だったらしい。 40年7月ポーランドからリトアニアへ逃げてきたユダヤ難民が、どこの大使館からも拒絶され。 日本を経由して入国ビザを必要としない南米キュラソー行きの『命のビザ』を求めて。 連日日本領事館の前にたむろい、ひたすら祈り願う人々だ。 杉原畝の心の葛藤。 (どうする?ここで外務省の意向に背けば…自分は家族はどうなる?) (いいゃ、発給要件を満たしていようがいまいか、そんな事関係ない) 自分の立場より【人道·博愛·精神第一】の結論に至った。 かつて学友と謳った。 母校の自治三決(後藤新平·言)。 『人のお世話にならぬよう.人のお世話をするよう.報いを求めぬように』 ドイツ軍がロシアへ侵攻する状況になり、領事館は閉鎖。 そんな中、杉原はギリギリまでユダヤ難民のビザ申請に対応。 手書きの軽減に木彫りのスタンプを用意して応じた。 そして領事館閉鎖後はホテルで列車の出発時間スレスレにまで応じる。 そんな彼にビザを受けとった多くの人々がいつまでもその行為に感謝を忘れなかったと。 6000人の命はその後孫世代まで引き継がれ40000人にまでになると言う。 いかに一瞬の個のエゴ·殺戮の戦争で人間の世界の可能性の未来を潰しているか。 今日世界のどこかで争いの闘いがある現状にあらためてその想いを深くする。 この映画の感動はそれまででも充分なのだが。 ここから更に深く私たちが考えなければならないのは⁉️ そんな杉原畝さんの偉業に対する外務省の対応実態だ。 この後、日本が敗戦になり。 杉原畝さんも1時ソ連の収容所に入り。 47年4月に帰国したら。 6月に日本外務大臣から『例の件』(日本外務省の訓令無視でビザ発行)を理由に。 【免官】を自らの希望として告げるように示唆されたとの事。 そして外務省としては以来、一切『杉原畝という人物は外務省には存在しないし、これまでも存在しなかった』という姿勢をとり続けたというのだ。 戦後十年程して、あのビザ発行のお蔭で命びろいしたユダヤ人が、外国から『御礼に』訪ねても答えはいつも同じだったと。 元々外務省の体質として血縁関係者が多く。 派閥が物を言う所があって。 後に外務省の官僚などの杉原畝への執拗な敵意と冷淡さ(『ユダヤ人に金をもらってやったのだから金には困らないでしょ』)は戦後ずっと続き。 彼は外交官OBによる財団法人関連の仕事につき。 鎌倉に住居を構えつつ。 1960年には希望でモスクワ駐在員に。 68年に杉原畝にビザを書いて貰ったユダヤ人のニシュリが漸く彼の居場所をつきとめ。 ボロボロになったビザの紙きれを握り。 杉原畝と熱い抱擁する場面は本当に泣かされた。 (あの時貴方に助けて貰ったから…) 71年国際貿易モスクワ事務所に付き。 78年に退職帰国している。 1985年イスラエルから『諸国民の正義の人』【ヤド·ハシェム賞】の称号💫 11月にエルサレム丘記念植樹祭と顕彰碑の除幕式が行われたが。 『高齢·心臓病』の理由で杉原畝の海外渡航を許さず。 代わりに四男·伸生(のぶき)が出席した。 1986年7月31日杉原畝、鎌倉市内入院病院で86歳で死去。 なおこの後ここは、イスラエル2000年集合住宅建設の為伐採撤去された事に怒った泯の声に。 政府謝罪のコメントを出したそう。 これなどは国単位の動きに。 個人の恩義を忘れぬ憤慨が状況を変える社会の図式が見てとれる。 1991年鈴木宗男外務次官が杉原幸子夫人を招き外務省の無礼を謝罪した。 ただしこの場に応じても、佐藤外務大臣は『日本降伏に伴う外務省のリストラであり懲戒処分でもないから名誉回復の必要もない』証言をしているそうだ。 2000年河野洋平外務大臣はようやく杉原畝の功績を公に認めた。 《一人の命を救う者は世界を救う》좋아요5댓글0
アリちゃんパパ4.0第二次世界大戦中リトアニアの領事だった主人公が多数のユダヤ人難民にビザを発行して命を救った実話を描いた佳作です。 政府の承認を受けないままビザを発行した主人公の信念を持った生き方に共感し、感動しました。 前にドラマ化されたものを観たのですが、本作は外国人が監督なだけあって、国際的でスケールが大きい作品となりました。좋아요4댓글0
ねこlove3.0リトアニア・カウナスに、日本領事館開設を命じられ赴任した杉原千畝。戦争の激化とともに、ユダヤ人迫害も激しさを増し、受け入れてくれる国もほとんど無くなってしまう。ナチスの目を盗んで逃げてきた難民たちがヒトラーから逃れるために、日本への通過ビザを求め、領事館前におしかけてくる。日本政府からは許可がおりない中、杉原は自分のキャリアを捨ててまでも、2000人以上のビザを発給し多くのユダヤ人の命を救った行為はすばらしいと思う。だけど、最後の最後、イリーナからの手紙の中、アメリカ軍の日本に対する原爆投下が、正当化されているように解釈できる部分があったことがとても残念。。좋아요3댓글0
chiyudakao3.5リトアニアにおいて全2139ものビザの発給、 そして今でもその恩恵を受けた人間が世界で4万人も。 このような方が世界に誇る日本人と言えるのだろう。 訓令なぞというルールに縛られて思考をしなければ、このような結果にはならなかった。 善意に基づいた、善良な判断。 だからこそ命のビザと言われて、語り継がれるのだ。좋아요3댓글0
コウキマン
3.0
2019.2.17.017 ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる者)としてソ連から外交官待遇を拒否された杉原千畝の、二次大戦中の活躍を描いた映画。池上彰の「世界の見方ドイツとEU」で杉原千畝の名前を知り、ちょこっとネットで杉原千畝についての予備知識を入れた上での映画鑑賞。 第二次大戦時、リトアニアの日本領事館で勤務。諜報活動を行いヨーロッパの情勢を詳しく本国へ送っていた。戦争は激化していき、ナチスドイツがヨーロッパで猛威を振るう。やがてあちこちでユダヤ人への迫害・虐殺が行われるようになり、ユダヤ人含む難民が日本領事館に通過ビザを求めやってくる。 本国の許可がないまま、彼が発給したビザは2000以上。当然ながらビザを手にした難民のすべてが生き延びれたわけでもないが、生き残った方々の子孫が今世界中に4万人いるのだそうだ。難民の多くはユダヤ人だったそうで、1985年にはイスラエル政府から表彰。しかし日本では外交官の職を追われるなど冷遇されていたことが何とも…。 作中、「ヴィザを発給します」と宣言したとき大きな歓声が上がったシーン、難民が涙ぐみながらビザを受け取るシーン、よかったな。名作と呼ばれるような作品ではないかもしれないけど、このような偉人?勇気と英断をもって多くの命を救った方を記憶、記録するという意味では大きな意味のある映画だと感じた。
邊見 猛
5.0
스포일러가 있어요!!
水色ふうせん
4.5
스포일러가 있어요!!
星ゆたか
3.0
2024.12.10 第2次世界大戦中にナチスの迫害から逃れる人々な為に。 独断で日本通運のビザを発行。 6000人あまりのユダヤ人を救った外交官·杉原畝(うね:1900~1986)の生涯を描いた作品。 監督は56歳の時のチェリン·ブラック。 米国人の父と日系米国人の母に和歌山で育てられたとの事。 出演は唐沢寿明(51歳).小雪(38歳).小日向文世(60歳).塚本高史.濱田岳.ボリス·シイツ.アグニエシュカ·クロボワスカ等。 『日本のシンドラー』と呼ばれた外交官。 必死の勉強で身に付けた語学(英·仏·独·中·露)と豊富な知識を駆使して。 インテリジェンス·オフイサー(諜報外交官)として。 1924年満州ハルピン日本領事館に。 この頃1度目の結婚.ロシア人と(映画ではロシアのスパイとされたイリーナ)がある。 ソ連とわが国との鋭い諜報活動に。 日本外交官としてソ連から。 『ペルソナ·ノン·グラータ(好ましからぬ人物)』と指定されたとか。 その後個人的感情の理由でない離婚(国の事情)。 そして日本人女性と再婚し2人の子を持ち。 37年にヘルシンキへ。 そして更に39年リトアニア·カワナスに日本領事館を開設。 このリトアニアと日本の関係には。 それより前1862年から何やらあって。 日本使節団が当時英語の話せる福沢諭吉の通訳と共に訪れている。 またリトアニア人のステポナス·カイリスというジャーナリストが。 『日露戦争の日本人の強さと抵抗力の源は何か』の書物の出版などもあり。 すでに認識のあった関係性の中で。 杉原外交官の赴任だったらしい。 40年7月ポーランドからリトアニアへ逃げてきたユダヤ難民が、どこの大使館からも拒絶され。 日本を経由して入国ビザを必要としない南米キュラソー行きの『命のビザ』を求めて。 連日日本領事館の前にたむろい、ひたすら祈り願う人々だ。 杉原畝の心の葛藤。 (どうする?ここで外務省の意向に背けば…自分は家族はどうなる?) (いいゃ、発給要件を満たしていようがいまいか、そんな事関係ない) 自分の立場より【人道·博愛·精神第一】の結論に至った。 かつて学友と謳った。 母校の自治三決(後藤新平·言)。 『人のお世話にならぬよう.人のお世話をするよう.報いを求めぬように』 ドイツ軍がロシアへ侵攻する状況になり、領事館は閉鎖。 そんな中、杉原はギリギリまでユダヤ難民のビザ申請に対応。 手書きの軽減に木彫りのスタンプを用意して応じた。 そして領事館閉鎖後はホテルで列車の出発時間スレスレにまで応じる。 そんな彼にビザを受けとった多くの人々がいつまでもその行為に感謝を忘れなかったと。 6000人の命はその後孫世代まで引き継がれ40000人にまでになると言う。 いかに一瞬の個のエゴ·殺戮の戦争で人間の世界の可能性の未来を潰しているか。 今日世界のどこかで争いの闘いがある現状にあらためてその想いを深くする。 この映画の感動はそれまででも充分なのだが。 ここから更に深く私たちが考えなければならないのは⁉️ そんな杉原畝さんの偉業に対する外務省の対応実態だ。 この後、日本が敗戦になり。 杉原畝さんも1時ソ連の収容所に入り。 47年4月に帰国したら。 6月に日本外務大臣から『例の件』(日本外務省の訓令無視でビザ発行)を理由に。 【免官】を自らの希望として告げるように示唆されたとの事。 そして外務省としては以来、一切『杉原畝という人物は外務省には存在しないし、これまでも存在しなかった』という姿勢をとり続けたというのだ。 戦後十年程して、あのビザ発行のお蔭で命びろいしたユダヤ人が、外国から『御礼に』訪ねても答えはいつも同じだったと。 元々外務省の体質として血縁関係者が多く。 派閥が物を言う所があって。 後に外務省の官僚などの杉原畝への執拗な敵意と冷淡さ(『ユダヤ人に金をもらってやったのだから金には困らないでしょ』)は戦後ずっと続き。 彼は外交官OBによる財団法人関連の仕事につき。 鎌倉に住居を構えつつ。 1960年には希望でモスクワ駐在員に。 68年に杉原畝にビザを書いて貰ったユダヤ人のニシュリが漸く彼の居場所をつきとめ。 ボロボロになったビザの紙きれを握り。 杉原畝と熱い抱擁する場面は本当に泣かされた。 (あの時貴方に助けて貰ったから…) 71年国際貿易モスクワ事務所に付き。 78年に退職帰国している。 1985年イスラエルから『諸国民の正義の人』【ヤド·ハシェム賞】の称号💫 11月にエルサレム丘記念植樹祭と顕彰碑の除幕式が行われたが。 『高齢·心臓病』の理由で杉原畝の海外渡航を許さず。 代わりに四男·伸生(のぶき)が出席した。 1986年7月31日杉原畝、鎌倉市内入院病院で86歳で死去。 なおこの後ここは、イスラエル2000年集合住宅建設の為伐採撤去された事に怒った泯の声に。 政府謝罪のコメントを出したそう。 これなどは国単位の動きに。 個人の恩義を忘れぬ憤慨が状況を変える社会の図式が見てとれる。 1991年鈴木宗男外務次官が杉原幸子夫人を招き外務省の無礼を謝罪した。 ただしこの場に応じても、佐藤外務大臣は『日本降伏に伴う外務省のリストラであり懲戒処分でもないから名誉回復の必要もない』証言をしているそうだ。 2000年河野洋平外務大臣はようやく杉原畝の功績を公に認めた。 《一人の命を救う者は世界を救う》
アリちゃんパパ
4.0
第二次世界大戦中リトアニアの領事だった主人公が多数のユダヤ人難民にビザを発行して命を救った実話を描いた佳作です。 政府の承認を受けないままビザを発行した主人公の信念を持った生き方に共感し、感動しました。 前にドラマ化されたものを観たのですが、本作は外国人が監督なだけあって、国際的でスケールが大きい作品となりました。
ねこlove
3.0
リトアニア・カウナスに、日本領事館開設を命じられ赴任した杉原千畝。戦争の激化とともに、ユダヤ人迫害も激しさを増し、受け入れてくれる国もほとんど無くなってしまう。ナチスの目を盗んで逃げてきた難民たちがヒトラーから逃れるために、日本への通過ビザを求め、領事館前におしかけてくる。日本政府からは許可がおりない中、杉原は自分のキャリアを捨ててまでも、2000人以上のビザを発給し多くのユダヤ人の命を救った行為はすばらしいと思う。だけど、最後の最後、イリーナからの手紙の中、アメリカ軍の日本に対する原爆投下が、正当化されているように解釈できる部分があったことがとても残念。。
chiyudakao
3.5
リトアニアにおいて全2139ものビザの発給、 そして今でもその恩恵を受けた人間が世界で4万人も。 このような方が世界に誇る日本人と言えるのだろう。 訓令なぞというルールに縛られて思考をしなければ、このような結果にはならなかった。 善意に基づいた、善良な判断。 だからこそ命のビザと言われて、語り継がれるのだ。
曽田典秀
3.5
日本版シンドラーのリストみたいな感じですが、話のテンポが早く、ちょっとナチの残虐行為はありますが、ほとんどは公務シーンがメインの映画です
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