페르소나
Persona
1966 · 드라마/스릴러 · 스웨덴
1시간 25분



유명 연극배우인 엘리자벳은 연극 ‘엘렉트라’를 공연하던 중 갑자기 말을 잃게 되고, 신경쇠약으로 병원을 거쳐 요양을 떠나게 된다. 그녀의 요양에 동행한 간호사 알마는 엘리자벳에 대해 간호사로서의 친절과 인간적인 호감, 동경 등을 느끼지만 말이 없는 엘리자벳에게 자기를 털어놓는 과정에서 그녀가 자신을 구경거리로 관찰하고 있다는 사실을 깨닫고 공격적인 비난의 태도를 취하게 된다. 엘리자벳의 남편의 방문을 계기로 알마는 마치 엘리자벳이 된 듯 그녀의 인격으로 말과 행동을 하게 되는 이상한 체험을 한다. 자신으로 돌아온 후에도 알마는 점차 엘리자벳과 닮아가다가, 마침내 두 인격이 겹쳐지는 듯 현실과 환상의 경계는 갈수록 모호해지고, 두 여인은 가면과 실체 사이의 자기 자신의 죄의식을 고통스럽게 들여다보게 된다.
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「コーヒーが苦いのは君のせい」都度課金開始✨
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nao
3.5
回転する映写機、蜘蛛、男性器、磔にされる手。様々な映像がサブリミナル的に繋げられていく衝撃的なオープニングで開始される 冒頭から暴力、神、罪をイメージさせるモンタージュ映像により、引き込まれるベルイマンの世界 物語は、言語障害に陥った女優エリザベートと献身的に世話をしてくれる看護婦アルマ、二人の海辺の別荘での療養生活を舞台に、互いの自意識の仮面が徐々に剥がれ落ちていく様を描く エリザベートとアルマが意識、感情を交差していくなかで、個人としてのアイデンティティもが同化していく過程は、人間が実際に"仮面"によって覆い隠している二面性だと言わんばかりに、美しく背反的に表現している 乖離する個人の二面性、どちらの面が本来の自分なのか 答えは無い 即ちどちらともが自分であり、他人である。だからこそ人はそこに、変容する自己、想像的自我、などという擬似人格的な表現で示されるものを押し込んでいる これも観終わってから、冒頭に遡って付与できる一つの意味でしかない どう意味付けるかは自分次第と言われている様な気がしました ベルイマンの作品は初めて鑑賞したのですが、この明媚な映像の数々は、内容を抜きにしてもお釣りがくるくらいに刺激的かつ情緒的で、冒頭からいきなり気持ちを持っていかれました 人間の二面性、延いては人を人と定義するものを描いた娯楽性は皆無と言っていい純粋な芸術作品です😮
ざべす
3.5
映画マニアに人気な印象があるイングマール・ベルイマン監督作品がアマゾンビデオに来たぞー。 初めて監督作品に触れたけど、 へぇ。舞台みたい。 俯瞰した画が少ない。対峙したアングルばかり。カメラワークが平面的になることをあえて意識しているらしく、それが“舞台”を生んでいる。 影と光の透過のヴィジュアルも美しい。 物語はつじつまが合わない虚構の世界から、だんだんと幻想的な精神世界へ。 男性が考えたような 文章を女性が喋るのが違和感だったが、 (大人しい女性が他の女性を尊敬のまなざしで語りながら「魅惑的な肉づきのいい肢体」と表現したり) のちのち設定がおかしくない構成になっている。 女性の感覚を子細に捉えているのにも驚いた。 この研ぎ澄まされた感覚と、独特で奥行きのあるそして少し難解チックな創造力がベルイマンを巨匠として押し上げ愛されているのであろうか? 他のも見よーっと。
nachu_XCX
4.0
4.1 今日の本命でした。 もしかして燃ゆる女の肖像、ペルソナ大リスペクト作品だったの…? 自分の理解で合っているのかどうか気になるところだけど、調べるのもなんとなく野暮だなぁと思ってしまった。 3本ベルイマン観てから4本目として観ているのである意味、こういうことが言いたいのかなという予想をしながら観ていた。 先に燃ゆる女の肖像を見ているので、そこから補う形で観れたのもある。 あなたになりたいと私をやめたいの需要と供給。 愛とは個人の喪失(ムンク)、とはまたちょっと違ったかも。 左脳-右顔、右脳-左顔と制御していることから 右顔が本音やプライベート、左顔が建前やパブリック、を表すなんて話を聞いたことあるけど…… 1番自分らしくあることは何も話さないこと何も動かないこと。コロナ禍の中で1人で部屋にこもっているときが1番自分らしく生き生きとしていると感じた時。
あふろざむらい
4.0
イングマール・ベルイマン、1967年の作品。 非常に見応えのある映画だった。 毒グモや、動物の殺害シーンなど、謎の映像が続く。磔刑のキリストのような手に釘を打たれるシーンも。 冒頭、寝台に横たわる少年の映像は、メイプルソープの写真のような性質の美しさがある。この作品は構図が素晴らしい。 女優のエリーサベットは、突然喋らなくなり、入院した。 彼女にとって演じることと喋ることは同一のもののようだ。 それはそうかもしれない。他者になにかを伝える手段として喋るのであれば、そこにはなんらかの演技が含まれるだろう。だったら喋らなければ、本物の自分でいられることになる。 途中、入院しているエリーサベットがラジオをじっと見つめていると、部屋が徐々に暗くなっていく。このショット、「叫びとささやき」でもあった。どうやってとっているのだろうか。人間の心理の変化を表現する、すごい演出だ。この監督は光の使い方が非常にうまい。 物語は病院から、病院長の別荘に移動する。 エリーサベットと看護婦がふたりで別荘に暮らして療養するのだ。 エリーサベットは微笑んだりして感情を伝えるが、言葉は発しない。逆に看護師はしゃべることで自分を表現する。相手に自分の内面を打ち明け、親しくなろうとする。しかしエリーサベットに裏切られ、彼女は怒る。 看護婦とエリーサベットは一緒に暮らすうちに同一化してしまう。 ある晩エリーサベットの夫が訪ねてくるが、看護師をエリーサベットだと思って話しかける。背後にエリーサベットがいるにもかかわらず。 しかし、このシーンは幻想だったのかもしれない。はっきりと区別はされなかった。幻想でも現実でもいい。なにしろふたりは同一化したのだ。 別荘から街に戻ることになったとき、街に向かうバスに乗ったのは1人だけだった。
3.2.1.0
3.5
스포일러가 있어요!!
panopticon
5.0
沈黙する本能(イド)と自我もしくは超自我との内面的葛藤を斬新かつ静謐な映像美で表した傑作。 ・ ・ 一人の女優(エリザベート)が舞台の上で突然芝居を続けることができなくなってしまう。理由を尋ねると、「何だか笑いそうになってしまった」という。 そのまま失語症状態となり入院したエリザベートに、アルマという背格好もエリザベートによく似た看護師がつくことになった。 アルマはエリザベートの症状が意思によるところが強く、自分には荷が重いのではと感じる。 また、アルマは婚約や今の仕事に満足しているのだが、生活に漠然とした不安を抱えている。 ・ 医師の勧めにより、エリザベートは海沿いの療養所に移され、アルマも付き添う。 二人は良好な関係性を築き、平和な時間が流れる。エリザベートは相変わらず言葉を発しないものの、アルマにとっては良き聞き手であり、過去の打ち明け話等をエリザベートに吐き出す。 ・ ある日の夜、アルマの寝床にエリザベートが幽霊のように近寄り、儀式めいた手つきでアルマに触れ、二人は重なり合う。 翌日、寝床にやってきたか聞くと、エリザベートは否定する。 ・ ある日、エリザベートが医師に向けて書いた手紙を投函しに行く際に、アルマはその内容を読んでしまう。そこには、エリザベートがアルマの打ち明け話を楽しんでいるという内容が書かれており、アルマは動揺する。 ・ 手紙をきっかけに、アルマはエリザベートに対し不信と憎しみを抱くようになり、二人の関係性は壊れていく。 そこに、エリザベートの夫が見舞いにやってきてアルマと出会う。なんと夫はアルマを自分の妻、エリザベートとして話しかけてくる。 驚いたアルマだが、最後には妻としての感情を発露し、応対する。 ・ アルマはエリザベートの存在とその沈黙について思いを巡らし、そして苦悩する。二人は同一の存在なのか否か。 ・ アルマはエリザベートに息子に関するトラウマを告白、告発し、自らの裡にいるエリザベートを否定、分離にかかる。 アルマは言葉や対話は無力だと悟る。 突然病室のイメージ空間に戻り、エリザベートに「無」という概念を咀嚼させる。 ・ ラスト、療養所からは軽快な足取りでアルマ一人が現れ、バスに乗り帰っていく。 ・ ・ 冒頭から鮮烈な映像がサブリミナル的に映し出され、多大なインパクトを食らった。 ハイコントラストな病院内は異空間めいており、その中における女性達の顔のクローズアップが美しく妖しい。 統制された構図の中で美しく理性的に映像は構成されていくが、時折挟まれるホラー的な演出と、映画構造そのものを壊しにかかるメタチックなギミックにより脈を乱され、不安定な精神構造が表出される。 ・ 印象的なのは全く同じシークエンスを別アングルで二度繰り返すシーン。語りかける=変革する側とされる側がそれぞれの立場から映し出され、最後に二人は融合する。自己の内面コントロールにおけるカオスとウロボロスな円環を感じさせる。 ・ 最終的に「言葉は無力よ」からの連続ビンタ。フィジカルがやはりメンタルに勝つ。 ・ 社会の枠組みの中で自然状態、イドを自由に表出することはできず、人間本来の欲望は人類の為に規制される。種の為に与えられた欲望と本能的な欲望は決定的な矛盾・対立をもたらす。 その対立を止揚することはできないのか? 本作では、本能に「無」という餌を与え自我の檻の中で飼い殺すことが選択される。
Balloon Flowers
5.0
「ファイトクラブ」、「マルホランドドライブ」、「複製された男」などの元になった、いわばそういうどんでん返し系の映画。 オープニングの不可解なモンタージュ映像や、上記作品とは違いタネがわかってもすっきりしないことなどから、下手したらリンチ作品以上に100%理解できない映画なのかもしれない。 宗教関連の自伝的な作品が多いベルイマンの中で、この人どうしたってなるような異彩を放った映画。
油麻
2.0
2022/6/17 喋り長すぎ、ダレ過ぎ
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