mid90s ミッドナインティーズ
Mid90s
2018 · コメディ/ドラマ · アメリカ
85分
© 2018 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.



1990年代半ばのロサンゼルス。13歳のスティーヴィー(サニー・スリッチ)は兄イアン(ルーカス・ヘッジズ)、母ダブニー(キャサリン・ウォーターストン)と暮らしている。力の強い兄に全く歯が立たない小柄なスティーヴィーは、早く大きくなって彼を見返してやりたいと願っていた。ある日、街のスケートボード・ショップで店に出入りする少年たちと知り合ったスティーヴィーは、驚くほど自由でかっこいい彼らに魅了される。そして、憧れのような気持ちでそのグループに近づこうとするが……。
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ジュネ
3.0
2020年141本目は、人気コメディアンのジョナ・ヒルが初めて監督をつとめた『ミッド・ナインティーズ』。 ------------------------------------------------------------ 正方形サイズの16ミリで撮影されたアングルに当時のカルチャーや音楽がたっぷり詰まっていて、90年代ど真ん中の世代にとってはセンチメンタルな気分に浸れること間違いなしです。年頃の少年が悪ガキどもに憧れてスケボーを始めてみたりタバコ吸ってみたり、ちょっと痛々しいけど輝かしい青春の日々が見事に活写されています。山あり谷ありの展開はありませんけど、じんわりと良さを噛みしめるタイプの作品でしょう。 ------------------------------------------------------------ また彼らの生活は両親含めとても「裕福」と言いきれるものではなく、ファックシットやレイもその過酷な身の上を吐露します。所得格差や貧困に苦しむ少年たちがスケボーを中心に集う構図は、奇遇にも現在公開中のドキュメンタリー『行き止まりの世界に生まれて』に通ずるものです。両作品において親による暴力や虐待に言及する場面がありますが、ジョナ・ヒル監督は本作において「男社会のヤダ味」にも言及しています。 ------------------------------------------------------------ 確かにグループに一度属すると楽しいことだけでなく、同調圧力によって煙草・麻薬・暴力といった悪しき風習を強要する事態になりかねません。こうした歪んだ「マスキュリニティ(男性性)」はアメリカ社会の1つの問題としても知られており、オープニングで主人公が兄イアンに殴られるシーンにははっきりとした嫌悪感を覚えます。単なる青春ドラマに留まらない視点の鋭さに、ジョナ・ヒル監督の卓越した才能を感じさせる1本です。
てる
4.5
私にはかなり突き刺さる作品だった。 私にも兄がいる。その兄との関係性を思い出させる内容だった。私は主人公の彼が考えていることが手に取るようにわかる。 兄弟がいる人、特に弟の人は激しく共感できるのではないだろうか。思春期の男の子の心情を物凄くリアルに描いた作品だった。 弟って兄に憧れるものなんだよね。だからお兄ちゃんの聞いてるCDとか読んでる漫画が気になってしょうがない。一方でお兄ちゃんは自分の物を勝手に触る弟が許せない。 スティーヴィーの兄もまた複雑な精神の持ち主だ。かつての母の不貞が許せず苦悩している。彼がグレてしまっているのは、そこが原因なのだろう。スティーヴィーを虐待していたのもその反動だろう。だけど、心根が真面目なのか、臆病なのか、外に出て悪さをするようなことはしていない。それが中途半端ではあるけど。 その中途半端さで弟にバカにされる羽目になってしまった。自分はただの内弁慶だったんだと弟の前で露呈する羽目になってしまった。そこで憧れであり、恐怖の対象だった兄が弟にバカにされてしまう。 端から見ると上も下もない。兄弟は共に愚かなのだ。だが、彼らのステータスは誰とつるんでいるかが重要なのだ。悪い奴らとつるんでいることこそが彼らのステータスなのだ。だから、彼らの世界では弟が上の立場なのだ。 大人の私からするとなんて幼くてなんて狭い世界で争っているんだろうと思う。だが、彼らの世界ではそれが全てなのだ。 悪いことをして、酷い怪我をして、酷い家庭環境ほど彼らの世界では偉いのだ。それを悪いことなんだと教えられる大人が彼らの周りには少なすぎる。 でもね。中学生とか高校生とかって悪いやつがカッコいいのよ。それがクールなのよ。大人に逆らって、大人を黙らせるやつがカッコいいのよ。自分は他のガキとは違うんだって言って精一杯背伸びしたいのよ。でもその大人をぎゃふんと言わせるすごいことってさ、悪いことしかないのよ。だってそれが一番手っ取り早くて、一番目立つんだもん。彼らのステータスの基準ってそこなのよ。 悪いことして、怪我して、女と寝る。それが彼らにとって、最高にクールなのだ。実際に日本でもヤンキー漫画って廃れない。どの世代にもある。特に80年代90年代は特に流行った。どの世界でも悪いやつがカッコいいという風潮はあるのだ。 しかし、大人になって社会に出てみるとそれはステータスにならない。 会社の面接のときに悪かった自慢をして、古傷を見せても採用されるわけがない。 おれ悪かったんすわぁ! この傷跡ヤバいすよねぇ! って宣ったところで、面接どころか酒の肴にもならやしない。 スティーヴィーは怪我をしたことで、彼らに認められることになった。スティーヴィーは舞い上がっていた。今までまともに認められたことがないのではないだろうか。その彼が憧れのヤンキーたちに認められたとあってはそうなるのも仕方ない。 自分は他のガキどもとは一線を画した特別な存在なんだ。内弁慶の中途半端な兄貴とは違うんだ。 実際にはそんなことは全くない。平々凡々な少年だ。端から見ても彼は舞い上がってる痛い子だ。 ファックシットがあの中では一番見ていて痛い。ファックシットというあだ名になんの疑問も抱いていない。それどころか面白いとすら思っている。十代で酒に溺れている。その年から酒に逃げることを覚えてしまってはどうしようもない。煙たがれていても酔っぱらっているから気になっていない。現実から目を背けてなんとか逃げようとしている。 レイが一番まともに見える。彼は面倒見がいいし、それに何より夢がある。夢があるというのは将来を見据えられていることだ。将来のビジョンが見えていると日頃の行いも変わってくる。ただ、後半でのレイのセリフにがっかりした。 スティーヴィーにお前は俺たちと違ってまともな家庭がある、お前はまともに生きろよみたいなセリフがある。そのセリフはスティーヴィーを心配する母と彼のことを想っての言葉だったのだろうが、私には違った意味にも感じ取れた。レイも自分の家庭環境に嘆き、自分の未来を見限ってしまっているのではないだろうか。さらに自分たちは所詮はクズの集まりなんだと自分たちを悲観しているようでいて、歪んだ選民思想的な優越感に浸っているのではないだろうか。 彼らは今はきっと楽しいのだ。だが、それは一時だけなのだ。彼らもやがて大人になる。その時までにどのような大人になるのかの準備をしないといけない。しかし彼らは自分たちをクズだと詰って、それを言い訳に努力することから逃げている。 レイもファックシットも他の子も家庭に某かの問題を抱えているのはわかる。だが、学校にいき、勉強し、スポーツに真剣に打ち込む、それだけで世界は変わる。様々な家庭環境の子どもたちと触れ合うことによって世界が変わる。 確かに私の知らない世界では学校にも通えないという劣悪な環境で生きている子どももいるだろう。だが、それも本人の意思次第なのだ。本人の努力次第なのだ。レイには夢がある。その夢に向かって努力し続ければいいのに。ファックシットもファックシットを卒業し、自らの名前で胸を張って生きられるようになればいいのに。 彼らのような子を見ていると、本当に教育って大事なんだなぁとつくづく思う。 私も少しだけ複雑な環境で育った。三人の子どもを育てるのはさぞ大変だったのだろう。我が家は貧乏とはいかないまでも裕福ではなかった。 中学に上がった頃から兄は素行の悪い連中とつき合うようになった。といっても小学生から付き合いのある同級生らの素行が悪くなっていったと言った方が正しい。兄の年は問題児が多く、小学生の高学年のときに学級閉鎖をおこなっていた。そんな問題児たちとつるんでいた兄は中学生からタバコを吸うようになった。私はそれが大変ショックだった。 それからその連中が我が家に度々集まるようになった。高校生になった彼らは酒を飲める集会場として、うちにたむろするようになった。 兄は彼らの取り巻きのような存在だったのだろう。都合のいいパシリとして扱われていたように思える。私はその横で彼らの武勇伝を聞いていた。 私と兄は歳が近い。なので、素行の悪い連中も幼馴染みのようなものだった。だから家に彼らが集まるのは、始めのうちはそれほど嫌ではなかった。また、その連中は学校でも有名であったから、彼らが家に来ることに対して、同級生に優越感があったのは確かだ。 この作品を観ているとあのときの自分を思い出す。 バカだったなぁ。なんて幼かったのだろう。兄貴はこんな気持ちだったのかなぁ。様々な想いに駆られる。 アメリカの低所得層のリアルな生活を描いてるのだろう。アメリカも日本もそう大きくは変わらない。どの世代も同じような悩みを抱えている。 特に90年代は私がまさに子どものときだった。それがまた懐かしさを覚えるのかもしれない。国が違えど、共通するものはあるんだなぁと感じた。
wishgiver
3.0
ジョナ・ヒル初監督作品は彼自身の半自伝的作品で、90年代とスケボーへのオマージュが込められた作品。 恐らくヒル自身であろうスティーヴィーがとにかくかわいい。 いつも偉そうな兄貴の関心を引きたかったり、やたら背伸びする思春期の描写がたまりません。 そんな彼がスケボーショップに出入りするようになり、ある事件をきっかけにグループでの序列が上がり、それによって起きる人間関係の変化や彼の成長をうまくまとめ ていますが、ジョナ・ヒル初監督作品でなければ配給されなかったかも。 お母さん役キャサリン・ウォーターストンはハマり役。 ファックシット、レイ、そしてスティーヴィーのその後が気になる。 でもまずはみんな、お母さんに謝りましょう(笑)。 (2020.9.21@京都シネマ)
toa
3.0
最近のpopeyeのスケート特集に、スケートボードの本質は自由と挑戦だと書いてあった。ルールがないから、どこまでやるのか、どこまで出来るのか自分次第。なるほどなぁ。 ちょっと年上の、自分より大きく自由そうな人への純な憧れ。傍からは覚束ない足元に見えて、実際近づくと見た目ほどキラキラしてないんだけど、当人(達)には縋りたい土台だったりするわけで。居場所が欲しいから必死になって、失うことに敏感になる、実存主義の感じ。 ドキュメンタリーみたいな等身大だった。 世界は底抜けだ。 レイ役は本職スケーターの方だそう。
dh
4.5
・瑞々しい… 少年の背伸び、青年の葛藤。 素敵やん。
riri
5.0
コロナ渦にて年を跨ぎ、やっと上映されました✨ スケートボード映画大好きなのですが、期待以上。しっかり作り込まれたせつな的多幸感のある素晴らしい映画でした。 90年代半ばの13歳の主人公に、ジョナ・ヒル監督は自身の同じ時期を投影したそうである。 少年たちのたむろの場であった「Motor」は、当時ジョナヒルが10歳のときに初めて足を踏んだ「Hot Red」というスケートボード店である。 おどおどし乍ら店に入ったあのシーンは、そっくりだったそう。 90年代の若者達は、2020年代の今とは環境も世界観もちがう。 この映画のように 頑張るコトは格好悪い,いきがって当たり前の時代で、仲間に認められて尊敬されるコトが何よりの喜びだった。 しかし、 そんな倫理の不旋律な環境下で、「本物」はやはり輝いて見えるのだ。 それが、仲間と連み乍らも確実にスケートボードには真摯だった サモア人のレイである。 小さな主人公スティービーはドラッグ・性の目覚め・酒・夜遊びを体験しながらも、段々と「本物(レイ)」に憧れてゆく。 その思いがはっきりとし、スティービーは一皮剥けた大人になるのである。 選曲のどれもが懐かしく、素晴らしい。 ミュータントタートルズのシーツと枕カバー,Tシャツにはストリートファ イター・Nas・girl・ビーバスandバッドヘッド…等々、映画館のマスクの下で 息をス〜ハ〜!とさせる程、歓喜 歓喜!
やかん
3.5
a24らしくエッジの効いたスタイリッシュな作品。 90年代半ばローティーンだったわたしは懐かしさを追体験。(LAではなく日本の地方都市だけど) クールで破天荒なハイティーンに憧れ、無鉄砲な行動に出る主人公が当時の自分と重なり、何度もこそばゆい感覚に。あー、わかるわかるッ! スマホやネットのない青春時代、毎日ほぼ同じ事の繰り返しだけど楽しかったな…まぶしい。 ストーリー終盤、いつの間にか親目線で観ている自分にふと気付く。経たなぁ…
なでかた
4.5
お洒落で素敵な世界観。色んな育ちの環境や人間関係があるけど、自分でどうやって生きていくか、葛藤していく。それが青春。良い映画ですね~。
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